井筒和幸監督の発言。


最近の「ミサイル報道」騒動*1デヴィ夫人の件の盛り上がりで思い出したこと。


一時期、2ちゃんねるなどで、以下のようなコピペが出回っていた。


井筒名言集


日本は北朝鮮経済制裁とかするな。横田めぐみはパーになって自殺したんやから諦めろ。


だから経済制裁なんか北朝鮮にケンカ売るようなもんや。


だいたい軟弱日本人が侵略戦争で解放された朝鮮人にケンカで勝てる訳がないやろ。制裁叫んでたら戦争や。


絶対に絶対に勝てない。


昔から朝鮮高校生にケンカ売って勝てる訳なかったやろが?安倍も小泉も俺の映画見て勉強せいや蛆虫。


さて、井筒監督は本当にこんな酷い発言をしたのだろうか。このコピペの元ネタがこちら。


ホンマにええんかなあ?ホンマにホンマ、月亭可朝やないけど、ホンマにそれでラチがあくのかな?北朝鮮に…経済制裁、騒がしい限りやね。制裁、制裁の一点張り。そもそも北朝鮮なんて国名はないし、ノースコリアはアメリカがそう呼んでるだけやけどこの際使います。北から返された遺骨もニセモノ、薮中はんに面会して遺骨差し出した男も、旦那さんやなくてニセ者だったらしいと。


だから経済制裁経済制裁と、世論がやかましくなってるけど、ホンマにホンマ、なんでそう簡単に考えてしまうのかな?ボクにはさっぱり分からんのです。制裁をするということは、売られてるケンカを買って出るていうことにしかならんやろと。そんなことでホンマに前に進むのか?絶対に進まんのと違うかな?


ホンマに考えてみて欲しい。遺骨がニセモノなら、ではではめぐみさん生きているやろうと。果たして、生きているとしたら、帰ってきたあの3家族の夫婦らとは、ちょっと訳が違うんやろうなと。多分、向こうの政府期間の要職に関係してるのかなと、誰しもが思う。向こう側も返す訳にいかないなら、もう忘れろとばかりにニセモノを持たせたのか。これは誰にも想像がつく。


いや実は、やっぱり2年前の発表どおり、御不幸ながら精神の異常をきたしてとっくの昔に亡くなってしまったのがホンマは事実かもしれない。となれば、どっちにしてもやっぱりもっともっと突っ込んで北朝鮮の代表らに腹を割らせる穏やかな話し合いを、これからこそ何十回と懲りずにやるのが、ホンマの得策なのになぁと、ボクは思う。ケンカを買ったらまたケンカを買われるのは当ったり前の必然。それをホンマに誰か分かっているのかな?


軟弱ニッポン人が、侵略戦争で解放された朝鮮人にケンカで勝てる訳がない。今ごろ焦っても下手なケンカにしかならない。ケンカ買って制裁叫んで強行なんかしたら、それこそ戦争や。在日の人も何十万人がニッポンにいるのに大変やろ。日帝植民地支配の戦後賠償も未決着のままで半島から結局はニラまれどおしでやってきたもん。


どっちもどっちで、過去にやらかしてきた事は両方ともに極悪外道極まりなかったんやし、ケンカ売ってるのはどっちなんやと、どっちからも吹っかけ合ってるだけ。北朝鮮とケンカ腰になったら駄目。ホンマに解決はしない。絶対に絶対に勝てない。今そんな外交やってるようじゃ、生きて帰ってくるものも余計帰ってこなくなってしまう。それが誰にもわかってない。なんでケンカ買うのよ?


昔から朝鮮高校生に腹いせにケンカ売ったって勝てる訳なかったやろが。安倍(幹事長代理)なんか(小泉も)パッチギ(頭突き)!やられたことないか、その感じしらんやろな?オレの映画見る気あるか?


http://pds.exblog.jp/pds/1/200503/08/51/a0023451_7582725.jpg


「いや実は、やっぱり2年前の発表どおり、御不幸ながら精神の異常をきたしてとっくの昔に亡くなってしまったのがホンマは事実かもしれない。となれば、どっちにしてもやっぱりもっともっと突っ込んで北朝鮮の代表らに腹を割らせる穏やかな話し合いを、これからこそ何十回と懲りずにやるのが、ホンマの得策なのになぁと、ボクは思う。」横田めぐみはパーになって自殺したんやから諦めろ。」超訳してしまうとは、戸田奈津子もびっくりなセンスだと思うけれど、それはともかく。


こうやって改めて読んでみると、(井筒風の「やんちゃ」な表現があったり、話を無理矢理「パッチギ!」に結び付けたりはしているけれど)つくづく正論だと思う。


いい加減「制裁」が拉致問題解決に何にも寄与していないという事実に気づくべきだと思う。

*1:“ミサイル騒動”報道ではなく。

柳の下のドジョウは取り尽くしたと思うよ。


マンガ嫌韓流 4 (晋遊舎ムック)

マンガ嫌韓流 4 (晋遊舎ムック)


確か「マンガ嫌中流」とかいうのも出してたけど、どんだけ売れたんだか。


とは言え、もうこういうので食ってくしかないのかな。あんな冨樫義博丸パクリの絵と画力*1では、普通のマンガは無理っぽいし。


というか、もうネタは残ってないと思うんだけどな。

*1:特に「2」のp241、主人公が「これまでの歪んだ醜悪な日韓関係ではなく事実を基にした健全な日韓関係構築のために!!」と決めポーズで叫んでるんだが、どー見ても歪んでいるのはお前の腰だ。

入管施設での自殺(2)


前回に引き続き、もうひとつ「“ようこそ”と言える日本へ」から、入管の実態について書かれた箇所を引用する。


これは、やはり土井さんが関わったアフガニスタン人の話。彼らはアフガニスタンで少数派のハザラ人(ほとんどがシーア派)。ハザラ人はアフガニスタンで差別・迫害されてきた歴史があるため、ほとんどの国で難民として認められている。にも関わらず彼らは強制収容され、一度は解放されたものの、再収容されてしまう。


クリスマスと正月を収容所で越すアフガニスタン人たちが不憫で、私は何度も収容所に面会に行きました。モハマドさんは再収容のショックから摂食障害に陥りました。そして、精神的にも肉体的にも健康はみるみるむしばまれ、日に一○―二○錠もの薬を処方されるようになりました。一週間で数キロも体重が減ってしまいました。


私は最初、彼がハンガーストライキをしているのかと思い、モハマドさんに面会して「ご飯を食べて欲しい」とお願いしました。でも、モハマドさんは訴えます。


「違う、僕もご飯は食べたいんだ。でもまったくお腹が減らない。ご飯を体が受けつけないんだ。この強制収容はいつまで続くのか……」


その目には涙がにじんでいます。


こんなこともありました。再収容されてしまったフセインさんに面会すると、フセインさんは、健康障害に悩んでいるにもかかわらず、「センセイ、いやだー!」と心の限りにさけびながら、病院に連れて行かれるのを拒んでいました。入管職員は決して自らの名を明かさず、自分たちを「センセイ」と呼ばせています。


「病院に連れて行かれるときに、センセイが手錠をはめる。どうして?手錠をはめられるとき、僕の心は死ぬ。悪いことはしていない。逃げもしない。患者さんたちに、悪人だと思われて怖がられている。手錠をはめられるくらいならば、病院に行かずに死んだ方がましだ」


私は、難民である彼らを救いだせない日本の司法の閉塞に、惨めな気持ちでいっぱいでした。


精神的・肉体的衰えはモハマドさんやフセインさんに限りませんでした。


収容所の外の医師に診察を受けたいと何度も申請したのに、入管に「病気じゃありません」と拒絶されたことなどをきっかけに、二○○二年二月、マフディ君までもが、意識がもうろうとなり倒れたのです。一ヵ月前には、マフディ君は収容所の中から児玉弁護士に電話をかけてきて、「げんきー、あなた、どうして私見ない?」とちゃめっ気たっぷりのままでした。


児玉弁護士は、あの明るいマフディ君が倒れたということにショックを受け、すぐに、二時間かけて、牛久の強制収容所に駆けつけました。そして、面会室に連れてこられたマフディ君の姿を強化プラスチック越しに見て、児玉弁護士は度肝を抜かれてしまいました。


あのちゃめっ気たっぷりのマフディ君が、両腕を胸の前でぴったりと合わせて硬直し、目を閉じて、車いすに乗せられて連れてこられたのです。


児玉弁護士が「目は開かないのか」と問いかけても、か弱く「見えない、開けられない」と言うのが精一杯の様子でした。児玉弁護士が面会に来ているということもわからない様子でした。すぐに、入管に医者に診せるようにと要求しましたが、入管は「今日は医者が休み」というばかりでした。


マフディ君が倒れたすぐあと、また、別の一九歳のアフガニスタン難民申請者が、備えつけのはさみで、顔や腹などを十数ヵ所刺して自殺未遂し、その日の夜にはズボンで首つり自殺を図ったという情報が入ってきました。この青年こそが、のちに『母さん、ぼくは生きてます』(マガジンハウス)という手記を出すことになる、アリ・ジャン君でした。


さらに三月、六人の被収容者がコインや石鹸を飲みこみ、続いて約四○錠の睡眠薬等の錠剤を飲みこみ、自殺を図りました。自分に火をつけようとした人もいました。二○○二年二月から三月のころ、アフガニスタン難民二三名が収容されていた東日本入国管理センターは、地獄のような状態だったのです。


しかし同じころ、日本は、アフガニスタンのハミド・カルザイ移行行政政権大統領や、パウエル米国務長官、オニール米財務長官、その他、世界各国の要人を日本に招き、アフガニスタン復興支援会議を開いていました。議長は元UNHCRの緒方貞子さん。


そこで日本政府は、アフガニスタンに対して巨額の復興支援金を拠出することを約束しました。そして、そのかなりの部分が、アフガニスタンの難民にも使われました。


そう、日本は、国外の難民は支援するのに、国内の難民は強制収容所に閉じこめて、心の傷から血を流させ続けていたのです。


この矛盾は、CNNなど、アフガニスタン復興支援会議を取材していたメディアによって全世界に報道されました。しかし入管は、強制収容施設内のみならず、入管敷地内の撮影も拒否し、そのありのままの姿を伝えることを拒んでいました。(p84〜87)


入管の収容施設におけるこのような例は、果たしてごく例外的なケースなのだろうか。こういうケースと楊さんの自殺には、全く関連性がないことなのだろうか。


ようこそ

ようこそ"と言える日本へ" 弁護士として外国人とともに歩む


母さん、ぼくは生きてます

母さん、ぼくは生きてます

入管施設での自殺(1)


もっと前に取り上げる予定だった話題。


強制退去目前の中国人男性、東京入国管理局収容所内で自殺―東京


1日、東京入国管理局は収容していた中国人男性(36)が先月20日、自殺を図り、翌日死亡する事件があったと発表した。(…)


2009年4月1日、華字紙・中文導報のウェブサイトによると、東京入国管理局は収容していた中国人男性(36)が先月20日、自殺を図り、翌日死亡する事件があったと発表した。中国新聞網が伝えた。


死亡したのは遼寧省出身の楊維剛(ヤン・ウェイガン)さん。1月30日に収容された後、自主帰国を拒否したため、強制退去の手続きが取られていた。楊さんは先月20日午前9時ごろ、収容されていた部屋にあった電気ポットのコードを利用して自殺を図っているのを発見され、すぐに近くの病院に運ばれたが、翌21日未明に死亡が確認された。


楊さんには昨年来日した妻のほか、中国に10代の息子と年老いて病気がちな両親がいる。事件を重視した中国の在日本大使館は東京入管に対し、楊さんへの「非人道的な行為」がなかったかどうか、詳しい経緯について正式に回答するよう求めた。中国国内では早くもこの事件に対する批判の声が巻き起こっているという。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090401-00000032-rcdc-cn


この件についてはミクシィでもニュースになっていたのだが、それについて書かれた日記のほとんどが「中国が非人道的行為などと言える義理か」とか「中国は自殺したくなるほど帰りたくない国!」いうようなものだった。


このニュースを知ってすぐ思い出したのが、土井香苗「“ようこそ”と言える日本へ」に書かれていたエピソード。


二○○三年四月、私は日本にいる難民申請者に面会するため、茨城県牛久市にある外国人収容施設、「東日本入国管理センター」を訪れました。JR上野駅から常磐線で約一時間、そこからさらにタクシーで約二○分の距離にあります。


在留資格をもらえないというだけで、期限も定めず外国人を強制的に収容するこの施設は、その明らかな実態から、一般に「強制収容所」と呼ばれています。また、ここに閉じこめられた外国人からは、「刑務所」や「ウシク」などと呼ばれています。


東日本入国管理センターは、全国に三カ所存在する外国人専用の大規模な強制収容所、正式には「入国者収容所入国管理センター」の一つです。東日本以外には、西日本入国管理センター(大阪府茨木市)と大村入国管理センター(長崎県大村市)があります。


これらの施設に、難民申請者や、家族と引き裂かれた外国人たちが、数ヵ月から数年間も強制収容されていることを知る人は少ないのではないでしょうか。例えば、二○○○年二月末時点では、少なくとも五○名の難民申請者が、日本国内の収容施設に強制収容されていました(東京アフガニスタン難民弁護団調べ)。


私がこの日面会したアフガニスタン人難民申請者アブドラさんは、日本政府によって難民と認定されず、アフガニスタンへの強制送還命令を受け、強制収容されていました。そして、その難民不認定処分や強制送還命令の取消しを求めて裁判中でした。


二○○二年一○月に収容されてから、すでに六ヵ月が経過していました。アブドラさんは会うたびに、「心臓が針で刺されるように痛い」「心臓を下にして寝ると心臓がバクバクして眠れない」「腰が痛くて歩けない」「足が麻痺してしまった」と、体調不良を訴えます。


医師からは、強制収容されてから極端に体調が悪化し、胃炎疑、狭心症疑、椎間板ヘルニアPTSD(心的外傷性ストレス障害)疑、うつ状態、などと診断されていました。狭い房の中に閉じこめられているので運動量が足りないことや、「アフガニスタンでの逮捕・拷問経験によりPTSDに罹患し、それが日本での強制収容によりフラッシュバックして身体症状化している可能性がある」ということでした。


強制収容される前は元気だったアブドラさん。面会を終えると、もう歩く力さえなく、車いすに乗せられて去っていきました。遠ざかる丸まった背中、骨が浮きでるまでに痩せた手首が、脳裏に焼きついて離れません。強制収容されてから一○歳は年をとったように見えます。(まえがきp6〜8)


収容された難民たちは訴えます。


「この収容所の中は刑務所と同じ。でも悪いことをして、裁判を受けて刑務所に入る人のほうがまだましだ。それは終わりが見えているから。刑期の終わりに向けて希望を持ってがんばれる。私たちは、未来に対する希望まで奪われた」


一○○万部を超えるベストセラー『世界がもし一○○人の村だったら』(マガジンハウス)の再話者、池田香代子さんも、東日本入国管理センターに足繁く通い、難民たちを励ますために面会を続けた方です。そして、池田さんは、私にこうおっしゃいました。


「今、日本に、アウシュビッツがあるんです」


池田さんは、ユダヤ人精神医学者ヴィクトール・E・フランクルアウシュビッツ収容体験を記した『夜と霧 新版』(みすず書房)の翻訳者でもあります。フランクルは、アウシュビッツで最も大量の死者を発生させた原因は、過酷な労働条件でも、悪化した食糧事情でも、季節の変化でも、伝染病疾患でもなく、収容がいつ終わるかわからないことに対する絶望だったと言います。そして、日本で強制収容された外国人たちの収容の期限は……ない。池田さんをして、「今、日本に、アウシュビッツがある」と言わせる理由が、ここにあるのです。(まえがきp10〜11)


自殺した楊繊剛さんが収容されていたのは「ウシク」ではなく港区の収容施設のようだし、また彼はたぶん難民ではないのだろう。


ただ、施設では難民申請者もそうでない非正規滞在者も同様に扱われているだろうし、非正規滞在者だからといって非人道的な扱いをしてはならないのは当然のことだ。


今のところ、自殺の原因と収容されたこととの因果関係は不明だ。ただ、土井氏の著書を読む限り、外部から遮断された収容施設内には多くの問題が起こり得るし、またそうした問題が起きても発覚しづらいということもあるだろう。


もちろん、楊さんの自殺が収容施設の問題に起因するという即断もできない。いずれにせよ、入管当局は中国の求めに応じ、きちんとした調査を行うべきだし、今後の動向についても注視する必要があると思う。


ようこそ

ようこそ"と言える日本へ" 弁護士として外国人とともに歩む

※Arisanが人権軽視が当たり前の国というエントリーで、入管の収容施設(楊さんが収容されていた施設かどうかは不明)について取り上げた番組について書かれている。この番組を観ていないので何とも言えないが、楊さんの自殺と何か関わりがあるのだろうか。このタイミングでそういう番組が放送されたのは入管に対するイメージアップのため、というのは考えすぎだろうか。

死ぬまでにしたい10のこと


1.鄭大均朴慶植氏、金英達氏の墓前で土下座させる。


2.在日特権を許さない市民の会およびその関連団体をぶっつぶす。


残り8つは後で考える。


死ぬまでにしたい10のこと [DVD]

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「ベンゲット移民」―日本からフィリピンに渡った「不法労働者」のはなし。


いしけりあそびさんのところで、「ベンゲット移民」と呼ばれた人々のことを知った。


ググってみて、見つけたページ↓。


「フィリピンに渡った日本人移民」
http://www.geocities.jp/jhonlenjp/page068.html


(以下、太字による強調は引用者)


これらの日本人移民は、種々雑多な職業に就き、フィリピン全土いたるところで見られるようになっていたようです。彼らは満州移民のような国策移民ではなく、大半は家族・同郷の者を頼って好況時のフィリピンに渡航してきた人たちでした。ダバオが好況であった1937年に、ダバオ領事館分館には481件の再渡航申請と789件の呼び寄せ申請が出されました。合計1270件は、当時のダバオの日本人人口の8.4%にあたり、実に12人にひとりが申請した事になります。


そうした日本人移民でしたが、実はこの頃のフィリピンは、売買春・契約移民は禁じられており、「からゆきさん」や「ベンゲット移民」も、ダバオの農夫も、皆フィリピンでは「不法外国人労働者」でありました。彼らがフィリピンで存在しえたのは、需給関係の成立により両国政府が黙認したためでした。


こうして考えてみると、今日本にやってきている「不法外国人労働者」とさして差はないと言う事に気がつかされます。


カルデロン一家を「犯罪者」と罵り、「不法滞在外国人を叩き出せ」と叫ぶ人たちは、こうした日本人の「不法労働外国人」に対しても同じような罵りを浴びせ、またその苦労や苦難に対しても「犯罪者なのだから仕方がない」と言うのだろうか。


第2次世界大戦後、日本はアメリカと言う世界最強国の後ろ盾を得て、めざましい経済復興をとげました。が、その一方で、日本人の他のアジアへの優越感と欧米に対する劣等感・憧憬は、ほぼそのまま持続されました。それどころか奇跡の復興がさらに日本人に自信をつけさせ、他のアジアへの優越感を増幅させていきました。


戦前戦後を問わず、日本人にはこのように、他のアジアに対する優越感を心のどこかに抱きながら、フィリピンを含むアジアの人々と接してきてしまっていると言っても過言ではないでしょう。


戦前の日本人移民は、貧しい日本を捨てて、また、貧しい日本を自分がフィリピンに行って働く事によって救おうと考え、この土地で新天地を切り開いていきました。しかし、第2次世界大戦が始まった時、日本軍は移民していた日本人を日本軍へ協力させ、戦争に狩り出させ、敗戦が濃厚となるとこれを見捨て、山中などへの逃避行の中、飢えや病気のため命を落としていきました。運良く生きながらえた者も、帰国した日本でフィリピン帰りということで差別され、苦しい生活を強いられることになってしまった人もいました。


いわゆる右派の人は、靖国神社の「英霊」に対して「尊い犠牲の上に、今の日本の平和と繁栄がある」という。しかし、現在の「平和と繁栄」は、例えばベンゲット移民のような「平和と繁栄」の陰で忘れ去られた人々の犠牲の上にも立ってはいまいか。


もっと言えば「日本の平和と繁栄」は日本人のみによって築かれたものではない。いわゆる強制連行(戦時動員)によって動員された朝鮮人たちが建設に携わったインフラの中には、今でも使われているものが多いし、戦後の経済復興にも多くの低賃金朝鮮人労働者が貢献している。近年の外国人不法労働者も同じような形で日本を支えてきた。今の日本があるのは決して日本人の努力「だけ」によるものではない。





灰谷健次郎の「太陽の子」に、「人はみな、他人の命を食べて生きている」という言葉があった(今手元にないので、正確な引用ができないけれど)。


自分が他人の命を食べて「生かされている」こと、自分にあらかじめ与えられ、当たり前のように享受しているものがいかにしてもたらされたのかということ。そうしたことに想いを馳せることなく、傲慢に振る舞う人間は、醜い。

蕨市民の皆様、これをどう思いますか?


mujigeさんも触れているが、明日蕨市で行われる「在日特権を許さない市民の会」のデモに関連して、瀬戸弘幸がこんなことを書いている↓。


「この蕨市にはまったく遵法精神がありません」


「このような市は勝手に滅んでしまえば良いと思います」


http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52212592.html








>このような市は勝手に滅んでしまえば良いと思います


>このような市は勝手に滅んでしまえば良いと思います


>このような市は勝手に滅んでしまえば良いと思います





・・・・・・保守?愛国?馬鹿も休み休み言いたまえよ。





このウスラトンカチ蕨市市議会が全会一致で一家の在留特別許可を求める意見書を採択したことに対して「遵法精神というものがありません」と言っているようだが、「在留特別許可」は不法滞在者不法入国者の中で特別な事情があると判断された人に与えられるものであり、それを求めることは違法行為でも脱法行為でも何でもない。


「『在留特別許可』とは、出入国管理及び難民認定法入管法)では、退去強制事由(入管法24条、例:オーバーステイ、不法入国等)に該当する外国人であっても、その外国人の事情を考慮して、法務大臣はその在留を特別に許可することが出来るとされていますが、この許可のことをいいます。簡単に言うと、オーバーステイや不法入国した外国人が特別に許可を得てビザを取得することです。


そして、この『在留特別許可』の法律的な根拠は出入国管理及び難民認定法入管法)50条1項4号です。


第50条 法務大臣は、前条第三項の裁決に当たつて、異議の申出が理由がないと認める場合でも、当該容疑者が次の各号のいずれかに該当するときは、その者の在留を特別に許可することができる。


一 永住許可を受けているとき。


二 かつて日本国民として本邦に本籍を有したことがあるとき。


三 人身取引等により他人の支配下に置かれて本邦に在留するものであるとき。


四 その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき。」


http://www6.ocn.ne.jp/~kianiku/zaitoku.htm


カルデロンさん一家の場合、↑の四、つまり「特別に在留を許可すべき事情がある」と認めてほしい、と法務大臣に求めていたのであって、何も超法規的措置」を求めていたわけではない


関連・カルデロンさん一家事件についてきちんと理解するための思考の道筋―いしけりあそび