「反はてサ」勢力が叫ぶいかがわしさ


また、なんともやりきれない事件が起きた。東京のはてなサヨクによる東工大モグリ未遂事件だ。関係当局は事件を徹底的に調べ、糾弾すべきは糾弾してほしい。当然ながらこのはてサは厳罰に処せられるだろう。中学23年生、37歳の中年に一生背負わなくてはならない「ヘタレ」の烙印を押したのだから、これは償いようがない。


以上のことを踏まえたうえで、あえて書かなくてはならない。今年始めの「差分」騒動の再来として、はてな界隈では受け取られている。それは感情論としては分かるのだが、「反はてサ」「自称ポモリベ」勢力が気勢をあげているのは、なんともいかがわしさがにおう。


この事件を持論の正当性のダシにするというのでは、被害中年への思いやりを欠くというものだ。こういう事件を前にしては、人間の尊厳に対してどこまでも誠実でありたい。


南京大虐殺否定論にも耳を傾けるべきだ」と声高に叫ぶのは言論の自由なのだろうが、そこには責任も伴わなくてはいけない。日本国憲法の精神は戦前の過ちに対する反省が基本であることは言うまでもない。「南京大虐殺否定論にも場所を」と主張するのなら「ホロコースト否定論にも場所を」「『マルコポーロ』廃刊は不当だ」という主張もしなければ「ダブスタ」との謗りは免れない。


元空幕長のアレな主張が世界から注目されている現在、ヒガシナカノった日本のネット言論の状況を放置・静観し続ければ、諸外国の日本に対する信用と評価は一気に下落する。ほくそ笑むのは誰か。そこを抜きにして、ポストかつモダンなリベラリストは名乗れない。


そういってはなんだが、これでまた自称中道たちがニヒリストを気取る理由ができた。はてサを否定するなら、南京大虐殺を否定する以外にたどるべき道はない。そのことを百も承知していながら、彼らは体を張ってこなかった。


東工大事件からもう一週間が過ぎた。あずまんと大学当局との間では聴講生制限に関する合意が交わされているが、モグリを希望する者に対するあずまんの姿勢は一向に明確にされない。


それにしても、一部ブロガーのヒステリックな伝え方はいったいどう理解したらいいのか。あずまんはあずまん、ポモリベはポモリベと冷静に切り離し、戦争責任に対する認識の世界的な潮流に思いをはせてこそリベラリズムだ。


「強制連行は捏造」と信じて疑わない体質と共通する脊髄的反応の弊害を、そこに指摘しないわけにはいかない。


「特に南京事件関連で、はてサを挑発してはダメ」。筆者などの世代は子どものころ、親から口うるさく言われたものだ。


ウヨサヨの論客が集結するネットである。自分のブログで南京大虐殺をネタにして、はてサを呼び込んでしまう無防備さ。この基本的な「しつけ」が徹底していなかったことは無念、という以外にない。


(客員編集委員 ハニャ岡信昭)