[書籍紹介]今読んでいる本


どれも図書館で借りたもの。


アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)

アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)

トリアージ論争に刺激されて。「訳者まえがき」と「序文」しか読んでいないが、これは読み応えがありそうだ。

だが、ヘスの恐ろしさ、そしてナチスの全行為の恐ろしさは、まさに、それが平凡な人間の行為だった、という点にこそある。どこにでもいる一人の平凡な人間、律儀で、誠実で、それなりに善良で、生きることにも生真面目な、そういう一人の平凡人が、こうした大量虐殺をもあえてなしうるということは、誰でもが、あなたであり、私であり、彼であるような、そういう人物が、それをなしうるということにほかならないからだ。

アウシュヴィッツ収容所」p4、「訳者まえがき」より

百万人の身世打鈴(シンセタリョン)―朝鮮人強制連行・強制労働の「恨(ハン)」

百万人の身世打鈴(シンセタリョン)―朝鮮人強制連行・強制労働の「恨(ハン)」

在日一世や植民地時代を知る韓国人などの証言を収録した、600ページ以上の大著。同じ証言集である「消された朝鮮人強制連行の記録 関釜連絡船と火床の坑夫たち」(林えいだい著、明石書店)*1を読んだ時にも同じようなことを思ったのだが、植民地下の「支配・被支配」という、いわば「大きな<物語>」の枠に収まらない個人の体験談、つまり「小さな<物語>」の持つ、ある種の生々しさ、力強さに感嘆、圧倒させられる。

余談だが、自分はいわゆる「強制連行」や、あるいは南京事件における「被害者数」を厳密に規定することに、あまり関心がない(学術的価値を否定するわけではなく、あくまで個人的な関心)。何万人とか何十万人とか統計的な、マクロな数字よりも、一人々々がどのように生き、どのように感じたかの方が、より重要に思えるから。

ちなみに「身世打鈴<シンセタリョン>」とは「身の上ばなし」の意とのこと。この、見慣れない言葉を見ていると、何となく「身を打たれ、鈴が鳴る」イメージが浮かぶ。おそらく語義的には間違いなのだろうけれど。



朝鮮人徴用工の手記

朝鮮人徴用工の手記

これは強制連行否定論(朝鮮人徴用者は高賃金・好待遇だった、という類の)でよく例に挙げられる一冊。「強制連行論における東中野修道*2こと鄭大均氏の「在日・強制連行の神話」でも引用されている。金英達氏や朴慶植氏の著作の恣意的な引用の仕方を考えると「一度猜疑心が生じてしまうと、何でも怪しげに見えてしまう」*3から、ちゃんと自分で読んでみないとね。

*1:何故かこの本はAmazonに登録されていないが、名著。

*2:今のところ、自分くらいしかこう呼んでいないけれど。

*3:「在日・強制連行の神話」p145より、朴慶植氏の「朝鮮人強制連行の記録」に対する鄭大均氏の言葉。