自国の戦争責任といかに向き合うか


↑の議論の中では野村進氏の「コリアン世界の旅」の一節を引用したのだが、せっかくなのでこちらでも引用しておく。

野村氏はベトナム戦争時の韓国軍の蛮行や、ベトナム戦争によって韓国がどれだけ“恩恵”を受けたか、またベトナムに二千人いるという韓越混血児のために無料の職業訓練学校を運営する韓国人牧師の話などに触れた後、次のように書く(太字強調は引用者による)。

韓国軍による住民無差別虐殺、カネのためのベトナム参戦、見捨てられてきた韓越混血児たち。韓国人がベトナムでしてきたことの暗部にばかり焦点を当ててきたかのように思われるかもしれないが、韓国人の行為は、すべて日本がアジアの国々でしてきたことをそのまま踏襲したにすぎないとも言える。かといって、私は韓国人がベトナムでしてきたことを免責するつもりはまったくない。だが、それ以上に認められないのは、韓国人も所詮“同じ穴の狢”として、かつての日本軍による住民無差別虐殺や日本の朝鮮戦争への関わりを正当化する考え方である。

問題は、現在そのような過去の行為をどうみなし、どのように対処しているかということなのである。客観的に見れば、これらの日本人と韓国人に共通する汚点について、双方ともごく一部の人を除いては真摯な反省も対応もしてこなかったと言わざるをえない。日本人も韓国人も、他国の人々を踏みつけにしておきながら、踏まれた側の痛みにはおそろしく鈍感でありつづけた。(p236)


もうひとつ、これは↑の議論では出さなかったけれど、ついでに引用。

九五年五月十二日、韓国の文部省にあたる教育部の長官が、金泳三政権から更迭された。原因は、ベトナム参戦をめぐる長官の談話である。

「6・25(朝鮮戦争)は同じ民族同士の殺し合いでしたが、ベトナム戦争アメリカの傭兵として参加したもので、大義名分の弱い戦争でありました」

この至極まっとうな発言に、軍部や在郷軍人会が猛然と噛みついたのである。

「きさまは、容共政策の代弁者か!」
「国立墓地の戦死者の墓にひざまずいて謝れ!」

たちまち教育長官は、全面謝罪と失脚に追い込まれてしまう。長官が深々と頭を下げている写真の載った同じ日の新聞の一面には、韓国在郷軍人会が大きな抗議文を掲げ、

「韓国軍は、まさに平和の十字軍として国威を発揚したのである」
ベトナム戦争は、全世界共産化の膨張戦略に対して、自由と平和を守るための聖戦であった」

と、高らかに宣言していた。

いま韓国の高校で使われている歴史の教科書には、韓国軍のベトナム派兵に触れている記述が、一行しかない。

韓国でも“歴史”は死にかけているのだろうか、あたかも日本やベトナムと同じように。(p245)


コリアン世界の旅 (講談社+α文庫)

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