鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(番外編)
「コリアン世界の旅」つながりで、これもついでに。
鄭大均氏は「ノンフィクション・ライターの野村進は、在日=『強制連行の被害者』論を否定するとともに在日知識人を批判して次のようにいう。*1」として「コリアン世界の旅」の一節を「強制連行」論に対する「反論」のひとつとして紹介している。ここで、「コリアン世界の旅」より当該箇所を引用してみる。なお、太字部分は「〜神話」で省略された箇所。
次の二点を明記しておきたい。強制連行された朝鮮人のほとんどは、戦後まもなく日本政府の計画送還で帰国していること。在日一世の大半は、戦前から日本に住みつづけているか、戦後、密航で来たかのどちらかであるということ。これらは研究者*2のあいだではすでに定説となっているのだが、日本人一般には正反対の言説が「事実」であるかのように 漠然と信じ込まれてきた。その最大の原因は日本のマスコミの認識不足だが、在日の特に知識人が往々にして「私たちは無理やり連れてこられた」といった言い方をしてきたことにも一因がある。
日本の過酷な植民地政策が朝鮮民族を窮乏させ、住み慣れた土地から日本に追いやった、あるいは日本の本土資本が安価な朝鮮人労働力を大量に必要としたという意味で、「無理やり連れてこられた」と言うことはできないわけではない。だが、「無理やり連れてこられた」といった表現には、明らかに強制連行のニュアンスがこめられている。日本人側が在日についてあまりにも知らないことが問題なのは言うまでもないが、在日側もこうした表現をいわば“切り札”にして日本人との議論を断ち切ってしまう場合が、ままあったのではなかろうか。
強制連行はまちがいなくあった。また、強制連行に象徴される日本の対朝鮮政策の延長線上に在日の現在はある。このことを大前提とした上で、いま日本にいる在日の大多数は、戦前からの渡航者および戦後の密航者と、その子孫たちであるという事実を、在日と日本人が共有しない限り、両者の対話と相互理解は前に進まないのではないか。(p307〜308)*3
太字部分を読めば明らかなように、野村氏は強制連行否定論者ではない。金英達氏の文の引用の仕方に比べればそれほど悪質ではないかもしれないが、こうやって見てみると「都合の悪い部分を隠したかったのだな」という印象が否めない。
- 作者: 鄭大均
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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