「ベンゲット移民」―日本からフィリピンに渡った「不法労働者」のはなし。


いしけりあそびさんのところで、「ベンゲット移民」と呼ばれた人々のことを知った。


ググってみて、見つけたページ↓。


「フィリピンに渡った日本人移民」
http://www.geocities.jp/jhonlenjp/page068.html


(以下、太字による強調は引用者)


これらの日本人移民は、種々雑多な職業に就き、フィリピン全土いたるところで見られるようになっていたようです。彼らは満州移民のような国策移民ではなく、大半は家族・同郷の者を頼って好況時のフィリピンに渡航してきた人たちでした。ダバオが好況であった1937年に、ダバオ領事館分館には481件の再渡航申請と789件の呼び寄せ申請が出されました。合計1270件は、当時のダバオの日本人人口の8.4%にあたり、実に12人にひとりが申請した事になります。


そうした日本人移民でしたが、実はこの頃のフィリピンは、売買春・契約移民は禁じられており、「からゆきさん」や「ベンゲット移民」も、ダバオの農夫も、皆フィリピンでは「不法外国人労働者」でありました。彼らがフィリピンで存在しえたのは、需給関係の成立により両国政府が黙認したためでした。


こうして考えてみると、今日本にやってきている「不法外国人労働者」とさして差はないと言う事に気がつかされます。


カルデロン一家を「犯罪者」と罵り、「不法滞在外国人を叩き出せ」と叫ぶ人たちは、こうした日本人の「不法労働外国人」に対しても同じような罵りを浴びせ、またその苦労や苦難に対しても「犯罪者なのだから仕方がない」と言うのだろうか。


第2次世界大戦後、日本はアメリカと言う世界最強国の後ろ盾を得て、めざましい経済復興をとげました。が、その一方で、日本人の他のアジアへの優越感と欧米に対する劣等感・憧憬は、ほぼそのまま持続されました。それどころか奇跡の復興がさらに日本人に自信をつけさせ、他のアジアへの優越感を増幅させていきました。


戦前戦後を問わず、日本人にはこのように、他のアジアに対する優越感を心のどこかに抱きながら、フィリピンを含むアジアの人々と接してきてしまっていると言っても過言ではないでしょう。


戦前の日本人移民は、貧しい日本を捨てて、また、貧しい日本を自分がフィリピンに行って働く事によって救おうと考え、この土地で新天地を切り開いていきました。しかし、第2次世界大戦が始まった時、日本軍は移民していた日本人を日本軍へ協力させ、戦争に狩り出させ、敗戦が濃厚となるとこれを見捨て、山中などへの逃避行の中、飢えや病気のため命を落としていきました。運良く生きながらえた者も、帰国した日本でフィリピン帰りということで差別され、苦しい生活を強いられることになってしまった人もいました。


いわゆる右派の人は、靖国神社の「英霊」に対して「尊い犠牲の上に、今の日本の平和と繁栄がある」という。しかし、現在の「平和と繁栄」は、例えばベンゲット移民のような「平和と繁栄」の陰で忘れ去られた人々の犠牲の上にも立ってはいまいか。


もっと言えば「日本の平和と繁栄」は日本人のみによって築かれたものではない。いわゆる強制連行(戦時動員)によって動員された朝鮮人たちが建設に携わったインフラの中には、今でも使われているものが多いし、戦後の経済復興にも多くの低賃金朝鮮人労働者が貢献している。近年の外国人不法労働者も同じような形で日本を支えてきた。今の日本があるのは決して日本人の努力「だけ」によるものではない。





灰谷健次郎の「太陽の子」に、「人はみな、他人の命を食べて生きている」という言葉があった(今手元にないので、正確な引用ができないけれど)。


自分が他人の命を食べて「生かされている」こと、自分にあらかじめ与えられ、当たり前のように享受しているものがいかにしてもたらされたのかということ。そうしたことに想いを馳せることなく、傲慢に振る舞う人間は、醜い。