早尾乕雄軍医中尉報告書「戦場神経症竝に犯罪に就て

第三章 戦場に於ける犯罪に就て

今時の事変中、将兵中に頻発せる犯罪事件は其の数極めて多く、其の原因につきても種々講究するの要を感じ、命により法務部及び憲兵隊と連絡を取り調書、司法書類、被告人等につき調査を実施せし結果により得たる所を左に記述せんと欲す。

(一)犯罪をなす兵の精神状態

犯罪者中には前科ある者も少なからず、初犯者といえども詳細に鑑定せば精神的欠陥を有する者多く、所謂中間者に属すべきものなり。
中間者の存在は社会に及ぼす影響甚大なる如く軍隊に於ても是を軽視得ざる所なり。今事変中の犯罪の模様を観て一層其の感を深からしめたり。重犯者にありては精神鑑定の結果夫々<それぞれ>病名の決定をなし処置せられたれとも、軽犯者にありては一々精神鑑定に至らず適宜の処置を受け不起訴放免せられし者も少なからず。亦憲兵隊の手に触れざる犯罪者は実に枚挙に暇なし。是等を総て中間者の行為とせんが軍隊は中間者の巣窟と言うべきのみ、此の言葉や決して適切ならず、今事変に見る犯罪の種類は悉く内地に於ては重罪のもとに処刑せらるべきものなり。然るに戦場にては無遠慮に行はれ、其の初めに於ては毫も制裁を受けず、却って是に痛快を感じ益々奨励せらるるが如き観ありき、例之徴発の如き公然ゆるされし事さへ最初は躊躇せる者が遂には徴発に大なる興味を感じ、次<つい>ては競争心さへ起すに至る次ては不必要なる(軍隊生活には)物品を自己の利欲より徴発なすに至り是等を内地に向って送りし例も少からず、或は徴発により上官の機嫌を取り結び自己の進級等に利益をはかりし例も存せり。
徴発はゆるされたる行為なれども是を次第に意義を換へ濫用となりし結果が犯罪構成に立ち至りしものにして実に徴発なる教は極めて兵卒の心を堕せしめたる結果を示せり。軍隊には「員数をつける」という言葉あり。是は一種の窃盗行為なり。平時に於てすら平然と行はれつつあり。
されば戦場に於ては更に烈しく徴発品を更に「員数つけ合う」の有様に目新しき物は瞬時に其の行衛を失ふ。徴発は此の「員数つける」を更に大にし公にせしものの如くに解釈せるの観あり。遂には掠奪となり強奪ともなり而も是等の行為を恥づるなき迄に至りしものと思はる。
兵卒の大部分は性善良なりしを疑はず、然るも戦場に来るや予想せざりし不良行為が平然と行はれ、而も何等の制裁なきを見るや、徒らに遠慮をなし不自由なる思をなすより「員数をつける」心持の下に余分の物品迄掠奪を敢てなすに至りしものと解釈すべきなり。依て犯行を重たる者或は重犯を冒したる者につきては其の精神的欠陥の存在を断定して差支なし、憲兵隊の増員整備と共に俄かに犯罪数が目立ち兵の不正行為を注目するに至りたるは戦闘中は注意行届かざりしが故に同種の行為にて罰せざりしものが、今日に於ては懲罰を受くることとなりし所以なり。
然るも戦闘間と戦闘休止間とに行はるる犯罪の種類には自ら差違ありて、休止と共に件数増加し内容巧妙化し、亦重犯者も増加の傾向あり是れ精神の弛緩と共に考に余裕を生ぜしためと考へらる。

(二)中間者の意義

中間者とは常人と精神病者との中間に介在なすものを総称し、その種類甚だ多く、亦其の鑑別も極めて困難にして臨床家も常に苦しむ所なり。而も社会の一般犯罪とは極めて密接なる関係を有せり。
今此処には特に犯罪者と関係深き種類のみを挙げたり。

(イ)病的虚言者
(ロ)先天性意思薄弱者
(ハ)病的興奮者
(ニ)病的好争者
(ホ)悖徳症
(へ)先天性偏執病様性格者
(ト)変態性性格者
(チ)常習性不良行為者

以上に於ては何れも一見常人の如く、或は却って奸智にたけたる所あり。然るに重要なる道徳観念の発達に乏しく、或は全く欠き従って不正行為を改むる所なく、単に人前にては悔悟を装ふに過ぎざるなり。されば誘惑あらば直に悪事をなし平然たり。是等が夫々独立性に存在することは不可能にして実際は種々なる混合状態にあり。
今簡単に各々につき説明せんに

(イ)病的虚言者は文字の示す如く巧に虚言により人に取り入り詐偽行為を多くなす。
(ロ)先天性意思薄弱者は仕事に倦き易く、しばしば勤務先を変換し落かざるを特徴とす。
(ハ)病的興奮者は易く些細事に怒り、飲酒すれば暴行す。
(ニ)病的好争者は些事にも文句をつけ争ひ、飲酒すれば暴行す。
(ホ)悖徳者は知識の発達は相当に良きも感情の発達宜しからず特に道徳感念なし。依って知識を働かせ巧みなる犯罪を重ね止むところなき者にて(チ)に一致すべきものなり。
(ヘ)先天性偏執病様性格者は自己の都合よき間は常人と異らざれば人々の間に伍し得るも、自己に不都合と感ずる地位に置かるるや、著しく周囲を色眼鏡式に観察し、所謂妄想的解釈を下しすべて己れに不利の如く仕向けらるる如くに考ふ。従って不平、不満を懐き憤りを感じ、進んで人々の不法を詰り人々の不正を摘発せんとし或は脅迫なすあり。
飲酒により益々粗暴となり、危険なる行為に出づることあり。
この性格者は平常あらはれざるにより軍隊内に於ては其の行為を病的と見倣さず、更に叱責を加へ懲罰を加へんとするや益々病症を悪化し、上官に抵抗し脅迫悔辱なす態度に出づるものなり。傷害を引き起せし例も少からず。
(ト)変態性性欲者の例は見る機会なかりしも、今事変中に強姦事件甚だ多かりし所より、或は少女を弄びたる例等より推測すれば年長者の間にはありしものなるべし、今後の研究にゆづる。
(チ)常習性不良行為者は悖徳者も其の中には入るべきも、必ずしも奸智に猛け居るの要なく、知力の発達も十分ならずために悪しきことなりとの判別明かならずして犯罪を重ぬる者も此の中に数えらる。
悖徳者は時には自己の行為に対して反省の力なきに非ざるも、意志の力弱く罪を重ぬる者なり。依って両者には明かなる区別を置かざる場合もあり。

次に其の一例を挙げん。
現役兵は逃亡、横領、詐偽、服飾潜用の常習者にして、多くの犯罪者中右に出づる者なしとして知られたり。外観極る温順にして交際に巧なり。彼の巧言には多数の人々が信用し金品を詐取せらるたり。敵前逃亡一回、病院より逃亡二回あり。逃亡中は常に上海に在り詐取せる金銭を以て遊興に耽りたり。其の件数実に十五件に達し金額凡<およそ>八七九円を示せり。彼は更に偶然行き会へる少尉の軍服と自己の背広と交換して少尉の服装をなしつつ遊興し、或は入院し来りたることさへあり。憲兵隊に捕へらるること数回、遂に精神的異常を疑はるるに至れり。此如は明かに中間者にて各種の病症を兼ね備えたるも常習犯罪者に属し悖徳症の中に数へらるるものと信ず。

(三)犯罪の種類

官憲の取締行き届かざりし頃は放火、掠奪、殺人、窃盗、強奪、強姦等凡ゆる重犯行為思ふがままに行はれつつありしが、取締厳となると共に放火は漸次数を減したるを見たり。必要上の放火よりは遊戯的放火の少からざるを見たり。殺人行為も減少せり。姦したる後に是を殺したる例も其の目撃者より聞けり掠奪、強奪も見られたるも漸次減少しつつあり。反之奇異なる現象は休戦期間の続くと共に戦友間の傷害が目立ちて多くなり、支那人強姦例は殆ど数を挙げ得ざる程の多数に上り詐偽、脅迫、強奪、服飾潜用等の如き犯罪をも見るに至れり。犯行は次第に在留邦人にも向けらるるに至れり。就中傷害犯の多きこと而も是が皆飲酒の上に行はるる事に就ては兵の精神教育の不徹底を疑はざるべからざる所なり。彼等は酒を飲めば戦功を誘〔誇?〕り高名話を競ふ傾あり。是に就きては何等怪むに足らざるも、其の結果は必ず銃剣を抜き対手を威嚇する者甚だ多し。其の終局は傷害を来すものなり。亦徒に衆人を前にして日本刀を抜き虚勢を示し、支那人を何人切りし等高言を吐く将校も幾人か目撃せり。在留邦人は飲酒の上剣を抜き威嚇なすは軍人の常の如く考ふるに至り、陸軍軍人を猛獣の如くに怖れつつありとの文句さへ読みしことあり。在留邦人の冷淡を憤慨なす者もあれど、功績赫々たる聖戦参加の将兵が如何に万死に一生を得たりと雖<いへど>も上海に於て「ダンス」に興じ下等なる売笑婦に戯れ、或は徒に剣を抜きて人を傷つけ、或は拳銃を発砲して傷害し恐喝し或は無銭飲食なす等、到底内地人の夢想だもせざる痛恨事なり。上海は実に犯罪都市と化したる観あり。南京亦是に次がんとする有様なり。実に日本軍人の堕落と言はざるべからず。
(犯罪に関する統計は最後に添加せり)(上海日本祖界憲兵分隊に於て材料の提供を受く)

(四)犯罪頻発の原因

左の諸項目を挙ぐるを得べし

一、悪戦苦闘の中に万死に一生を得たる優越感と功績陶酔感は超人間的意識と変し他を侮蔑するに至りしこと。
一、支那人を殺戮せる快味を未だ忘れぬために銃、剣、拳銃を濫用するの弊害を生ぜしこと。
一、徴発の意義を誤解し掠奪と混同するに至りしこと。
一、将兵共に文化保護の観念に乏しきこと。
一、将兵共に刑法に対する観念に乏しきこと。
一、軍人精神教育は在郷者には徹底し居らざること。
一、戦功をたてし将兵に対し当局は余りに迎合的態度に出でしこと。
一、戦の後に精神の弛緩を来したる時にあたり慰安方法宜しきを得ざりしこと。
一、酒の配給多きに過ぎしこと。
一、古き者を残し新しき者を先に凱旋せしめしこと。
一、業務閑散となり遊興に傾きしこと。
一、上海、南京等に酒場、慰安場を多数に開設し、自ら酒と女とのみを以て将兵を慰むる方法をとり、他に健全なる精神の転換を図る施設を忘れたること。
一、上海見物を奨励せる傾ありしこと。
一、将兵の身上調査不行届たること。
一、未教育兵及古兵の多かりしこと。

以上は軽犯罪傷害等に関係あるものなり。
逃亡(陣中逃亡も含む)者も悉く上海を慕ひて集り先づ遊興に耽り其資つくるや残留邦人より金品を詐取し、或は恐喝強奪し或は掠奪、窃盗し、是を以て遊興に耽るを常とせり。亦身辺の警戒をくらます為めに服飾潜用を敢てし自己の階級を将校或は下士に変装しつつ悪事を働けるあり。或は背広に着換へ装具を遺棄して歓楽場を渡り歩きし者もあり。如此行為ある者は悉く精神欠陥が原因をなす。
戦友を傷害致死に至らしめし例は何れも高度の精神欠陥者たること勿論なり。
強姦罪に就ては人間の本能性を赤裸々に表したる結果にして、恰<あたか>も飢えたる者は餓鬼の如きに等しく、性欲に対しても通ずる言葉なり。
人間は恐怖 疲労困憊のもとには性欲発揮することなし。是は睾丸の組織検査にもよく表はれたり。戦闘休止し精神に余裕を生じ休養の効果表はるると共に睾丸の組織は常態に復旧す。此処に更に精神の緊張失はるるを以て性欲勃然として起るは当然なり。餓鬼とならざるを得ず、是強姦の流行せし所以なり。是を敢てせざるはその人の修養の厚きを物語るものとす。

(五)犯罪の予防策

(イ)酒の調節を計ること、其の方法に種々あり左の如し
(1)飲食店にて酒の発売を禁止すること。
(2)飲酒の量の制限、飲酒時間の短縮を図ること。
(3)酒の加給を制限し其の量を減すること。
(4)酒保の名を改め酒を売らしめざること。
(5)最後には軍隊には酒を禁ずること、従って他の方法により飲酒の禁を犯したる場合は厳罰に処すべし。
(ロ)精神強化の方法として体育的遊戯の施設をなすこと。
(ハ)高尚なる慰安施設をなすこと。
例之 シネマ、芝居、音楽堂、図書館、博物館
(ニ)競技を励行なすこと。
(ホ)慰安所を閉鎖し遊郭に改むること。
(ヘ)身上調査、精神検査により前科ある者、精神欠陥者、酒精中毒者等を速かに除去なすこと。
(ト)現役将兵を以て速かに交代せしむること。




(赤字による強調は引用者。また片仮名を平仮名に、旧漢字を現代漢字に直し、適宜句読点・濁点を補いました)