「『百人斬り競争』と南京事件」書評、と覚え書き。


「百人斬り競争」と南京事件―史実の解明から歴史対話へ

「百人斬り競争」と南京事件―史実の解明から歴史対話へ


以下はミクシィレビューに書いたもの。

南京事件についてはそこそこ詳しいつもりではあったのだが、そんな自分にとっても本書は圧巻だった。日本刀が(一部で流布している俗説に反して)白兵戦や捕虜殺害などに対して非常に「実用的」であったこと、また当時の日本では「○○人斬り」が残酷な行為ではなく、勇敢さ・勇猛さを示す行為として受け取られていたこと(当時、若い女性ですら「十九人ナデ斬りですって?マア、素敵だ!」と喜びの声を上げていたことが紹介されている)、また、新聞で「○○人斬り」があたかもスポーツ選手が好成績を挙げたかのように報道されたこと、そのことが兵士を鼓舞し、ますます「○○人斬り」に拍車がかかったこと、などが当時の資料によって明らかにされる。


また、南京裁判で処刑された二人の中尉のアリバイも、綿密な資料検証によって崩されるが、それと同時に南京裁判が拙速であったこと、彼らがある意味スケープゴートとされたことも指摘されている。


彼ら二人は決して日本軍の中で突出して非道な行為を行ったわけではなく、「何千・何百の野田・向井」がいた。それは単に個人の資質によるものだけではなく、そうさせる背景があったからだ。両中尉が処刑された後、二人の家族は「戦犯の家族」として他の日本人から酷い扱いを受けたという。しかし、彼らをそうさせたのは「○○人斬り」に熱狂した、当時の日本人でもある。現在生きる者は、単に彼らの行為を非難したり、あるいは逆に美化・正当化するのではなく、そうした事実にもしっかりと向かい合うべきだと改めて痛感した。


で、以下は同じくミクシィの「南京大虐殺論」という否定派が多数を占めるコミュで以前書いた文章*1。今読み返してみると、ちょっと否定派を贔屓目で捉え過ぎのように思えなくもないのだけれど、たぶん否定派の中には肯定派(史実派)に対する誤解・反発から否定論に固執している人も少なくないように思ったので、その誤解を解くことが出来れば少しは肯定派に対するアレルギーが減るのではないか?と思ったのがこれを書いた理由のひとつ。後、南京事件を含めた戦争責任の問題に対して、自分はどう向き合うべきか?ということを一度自分なりに言葉にしておきたかった、というのもある。↑の「『百人斬り競争』と南京事件」を読んで感じたことにも通じることなので、メモとして転載しておく。


・・・たぶん、南京大虐殺否定派(全てではないでしょうが)の心情の中には「当時の日本軍兵士は今の平和な時代からは想像も出来ないような苦労を戦地でしてきた。それを現代の、戦争に行かずに済んで暮らしている(平和ボケした?)人間が非難・批判することは許せない」というような感情があるのではないでしょうか。例えば小林よしのり氏が「国を守るために戦ったじっちゃんを守りたい」と発言したり、いわゆる「自虐史観論者」や「サヨク」を批判するのも、そういう心情のためだと思います。


自分は笠原氏のような、いわゆる大虐殺派(史実派)の意見を概ね支持する立場ですが、↑のような感情は分からなくもないのです。つまり「戦場に行かずに済んだ」人間が「戦場に行かざるを得なかった」人間をあたかも人非人であるかのごとく一方的に糾弾するのは偽善的で傲慢な態度だと思います。


ですから自分は南京事件について考える時は「もし自分が当時南京に従軍していたら、非道・不法な行為に荷担することに抗えたか?」と自問します。答えは「否」です。上海や南京における兵士の犯罪について早尾乕雄軍医中尉が「戦場神経症竝<ならび>に犯罪に就て」の中で「是(強姦)を敢てせざるはその人の修養の厚きを物語るものとす」と書いていますが、自分はとても「修養の厚き」人間とは言えませんから。そういう意味では、よく言われる「現代の価値観で過去を断罪してはいけない」という物言いも、分からなくはないのです*2。それに当時の日本兵、つまり「戦場に行かざるを得なかった」人々は加害者であると同時に、そういう状況に巻き込まれた被害者であるとも言えるでしょう(実際、終戦直後の時期には多くの復員兵が「戦地で酷いことをした連中」として白い目で見られ、「お国のために戦ってきたのになぜ?」という思いを抱いた人もいたようです)。


そういう風に考えていくと、南京事件、ひいては日中戦争、太平洋戦争について考える、反省するというのは、単に中国に対してどうこう、というようなことだけではないと思うのです。この辺うまく言葉で表現できないのですが、、「自分は当事者でないのだから関係ない」と切り離し、突き放して考えるのではなく、だからといって盲目的・感情的に擁護するのでもなく、「被害者の痛み」と「加害者の重み」を両方「わがこと」として受け止める、というようなアプローチの仕方があるのではないでしょうか。・・・

関連:『「百人斬り競争」と南京事件』(追記あり)

*1:今はほとんど書き込みしてないけど。だっていっくら反論しても「20万しかいないのに30万人殺せたはずがない」的な愚論が、スターシップ・トゥルーパーズの昆虫型エイリアンの如く後から後から出てきて、キリがないんだもん。

*2:もちろん、この言葉が慰安婦の問題を免罪する文脈で使われるような場合は批判的立場を取るけれども。