宋神道さんの言葉


かなり前の話だが、元慰安婦の宋神道(ソン・シンド)さんのドキュメンタリー映画在日朝鮮人慰安婦』宋神道のたたかい オレの心は負けてない」を見た。ただし今回は、映画そのものではなく、そのパンフレットに書かれていたことについて。


パンフレットの中で作家の朴慶南氏が、次のような話を紹介している(改行・太字は引用者)。

宋さんの講演が終わった後、若い日本人男性が手を挙げて宋さんに質問をしたんですね。日本兵が中国でどんな酷い事をしたか教えてくださいって。すると、宋さんがその若者をこんな風に一喝したんです。

「兵隊さんだって可哀そうだったんだぞ。誰が好き好んで戦争さ行くだ。国には父ちゃんも母ちゃんも妹だっていたべ。それが戦争さ行かされて目の前には死ぬ事しかねぇんだぞ。兵隊さんだって頭おかしくなっちまうだろう。戦争起こした人間はぬくぬくしてて、オラ達みたいな下っ端が皆ひでぇ目に遭うんだ。このままいくと日本はまた戦争を起こす。そうなったら、お前は戦争に行って人を殺すんだ。お前が殺されるんだ。だから、日本がまた戦争しないようにお前が頑張らないでどうするんだ、オラみたいな可哀そうなオナゴを作るな!」

その宋さんの言葉が胸に響いて…(後略)


なぜ宋さんは、この若者を「一喝」したのだろう。


ここで朴氏が紹介しているやりとりを実際に見たわけではないのであくまで想像だが、恐らく宋さんはその若者の言葉から、彼が「日本兵が中国でした酷い事」を「過去に他人が起こした(自分とは関係がない)残虐・非道な行為」として捉えていることを感じ取ったのではないだろうか。言い方を変えると、彼が「自分が非道な行為に手を染めないで済んでいる存在」であることを自覚しないまま、「非道な行為に手を染めざるを得なかった人々」を断罪しようとする偽善性・欺蹣性を嗅ぎ取ったのではないだろうか。彼女の「このままいくと日本はまた戦争を起こす。そうなったら、お前は戦争に行って人を殺すんだ。お前が殺されるんだ。」という言葉には「戦争の悲劇を、他人事としてではなく、当事者として捉えろ」という彼女の「想い」がこもっているように思えてならない。



映画「在日朝鮮人『慰安婦』宋神道のたたかい『オレの心は負けてない』」HP


オレの心は負けてない―在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい

オレの心は負けてない―在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい


関連:「『百人斬り競争』と南京事件」書評、と覚え書き。


<追記>ここで提起した問題、つまり「戦争責任を他人事としてではなく当事者として考えよう」ということについては、戦争責任に関心のある人の多くが共有していることで、言わば「言わずもがな」のことであるのかもしれない。ただ、こういう考え方をより広く共有するためには、「言わずもがな」にしておくのではなく、きちんと言葉にしておいた方が良いのではないかな、という気がしている。特に左派・リベラルの考え方を「自虐的」と誤解しているような人に理解を訴えかけるためには。