田母神「論文」に象徴される反「自虐史観」について、企業の不祥事にたとえて考えてみる。


たとえば。ミートホープでも雪印でも良いのだけれど、不祥事を起こした企業の人間が「不祥事を起こしたのは我が社だけではないのに、なぜ我が社だけが責められなくてはいけないのか?」とか「我が社だけが『不祥事』の罪に問われたのは○○の陰謀だ!」とか言ったら、その人は「愛社精神に溢れた人」として賞賛されるだろうか。いやされない(反語的表現)。



この「自虐史観」という言葉については、前々から考えていたことがあるので、近いうちに書く予定。