「南京大虐殺は外交カード」?


(ミクシィの南京関連コミュに書いたものを一部改変)
「中国は南京大虐殺外交カードにしている」という意見を否定論者からよく聞く。本当だろうか?


例えば、イアン・ブルマ「戦争の記憶」にはこんな記述がある。


この会議(引用者注・1991年、南京で行われた、南京大虐殺に関する会議)は、もっと多くの代表者が集まり、もっと大規模に、南京大学のしかるべき講堂で開かれるはずだった。ところが、主催者の中国系アメリカ人によれば、土壇場になって中国政府からの許可が下りなかった。おそらく日本の首相の予期せぬ北京訪問のせいだろう。中国は日本に低利の借款を申し入れるつもりでいたので、日本の戦争犯罪に関する会議はいかにも時機が悪かった。だが、熱心な人々が非公式に集まるのは認めてくれたらしい。日本にちょっとくらい良心の呵責を感じさせるのは、この際悪くはないとの判断だ。(p153)


また、これは南京事件ではなく、中国人強制連行についてだが、こんな話もある。


劉講師の話によると、一九九二年の天皇訪中の際、彼ら「強制労工(引用者注・強制連行された人の中国での呼び方)」を中心とする活動家は、政府の命令により数日間、自宅からの外出を禁止されたという。中国は人権問題をめぐってアメリカとの関係がギクシャクしている。改革開放を進める上で、日本から経済協力を得ることが、どうしても必要である。そのために、中国は日中間に新たな問題を引き起こしたくない。強制連行に対する補償要求運動が当局から制約を受ける背景には、こうしたことがあるのではないだろうか。(「NHKスペシャル 幻の外務省報告書―中国人強制連行の記録」p142)


要は中国当局としては、歴史問題で下手に日本を刺激するよりも経済協力を得る方を優先している、ということではないかと思う。中国政府の高官などが南京事件などに言及して日本を非難するのは、例えば日本の政治家が「南京大虐殺はなかった」と発言した時などがほとんどだろう。


南京大虐殺を否定しなければ日本は中国から食い物にされてしまう、と強弁し、躍起になって「中国が主張する30万人説は嘘だ!」と声高に主張する否定論者を見るにつけ、まるで自らの影に脅えているかのように思えるのは自分だけだろうか。これは最近の国籍法反対派にも感じることではあるけれど。