ADON-K氏による雁屋氏批判を検証する。


前回取り上げた雁屋氏の記事にADON-Kという人*1トラックバックを送っている。


http://adon-k.seesaa.net/article/110996404.html


この記事に書かれている内容はネット上の「強制連行」否定論の典型的な例に思えるので、今回はこれについて取り上げる。


どんな資料を見て強制連行や強制労働の記録と言っているのかわかりませんが、いつから炭砿や地下工場で働かせたことが強制労働や強制連行の記録になったのでしょうか?


その当時、日本人だって炭坑で働いてる人はたくさんいたでしょ。地下工場で働いている人もたくさんいるでしょ。


最初に言っておくと「炭砿や地下工場で(朝鮮人を)働かせたこと=強制労働や強制連行」ではない。日本で炭鉱労働などに従事していた朝鮮人の中には募集・官斡旋・徴用などの動員政策による者でない自由労働者もいた。こうした人たちは動員政策によって連行された労働者に比べれば待遇も良かった(とは言え、日本人労働者と比べれば格差はあったが)し、「強制連行」にはカウントされない。雁屋氏の挙げている新聞報道においても同様だろう。


なお「日本人だって炭坑で働いてる人は〜」という一文には「日本人だって当時は苦労したのだから」という含意があるのだろうが、朝鮮人に対する戦時動員と日本人の戦時動員とでは「決定的に次元が異なる」。これについてはこちらで引用した金英達氏の文章を参照のこと。


そんなものより、強制連行が行われた当時の資料を集めたものをソースとして提示するべきです。


ぜひ探して欲しいですね〜


提示します(以下、太字による強調は引用者)。


・1944年に作成された「思想対策係『半島人問題』」


半島労務者の労務管理には幾多の問題が存してゐる。先ず労務管理は募集の時から始まるものと謂はれる。蓋し言語風習を異にする場合其の労務管理は朝鮮にゐる時から始ってゐると知るべきだとの信念を有する人(石炭統制会の田中勤労部長の如き)すらある。何となれば朝鮮に於ける募集状況を見るに、曽ては野良で仕事最中の者を集め、或は寝込みを襲ふて連れて来る様な例も中にはあって其の誤れるや甚しい。計画的に募集の準備をして供出することが切に要望される所以である。


・1944年7月31日付、内務省嘱託小暮泰用から内務省管理局長竹内徳治に提出された「復命書」


為に民衆をして当局の施策の真義、重大性等を認識せしむることなく民衆に対して義と涙なきは固より無理強制暴竹(ママ)(食糧供出に於ける殴打、家宅捜査、呼出拷問労務供出に於ける不意打的人質的拉致等)乃至稀には傷害致死事件等の発生を見るが如き不詳事件すらある。斯くて供出は時に掠奪性を帯び志願報国は強制となり寄附は徴収なる場合が多いと謂ふ


徴用は別として*2其の他如何なる方式に依るも出動は全く拉致同様な状態である  其れは若し事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである、そこで夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的略奪拉致の事例が多くなるのである、何故に事前に知らせれば彼等は逃亡するか、要するにそこには彼等を精神的に惹付ける何物もなかったことから生ずるものと思はれる、内鮮を通じて労務管理の拙悪極まることは往々にして彼等の身心を破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破壊が屡々あったからである


なお、これらの文章は1944年9月以前、すなわち(否定論者が徴用・強制ではないとする)「募集」「官斡旋」に関する記述であることをつけ加えておく。


まあ、強制連行なんて言葉は1980年代にマスコミが作り出した言葉ですから、その当時にそんな記事はないでしょうがね。


細かいことではあるが、「強制連行」という言葉が用いられるようになったのはそもそも中国人強制連行に対してであって、1960年にはすでに使われていたし、「朝鮮人強制連行」という用語を初めて使い始めたのは「朝鮮人強制連行の記録」の朴慶植氏と思われるが、この本が出版されたのは1965年。


また「強制連行」という言葉が戦時中使われなかったのは当たり前で、ナチスが自らが行うユダヤ人虐殺を「ホロコースト」と呼ばず「最終解決」と呼んだのと同じことである。


ちなみに、戦前朝鮮総督府に勤めていた鎌田沢一郎は「朝鮮新話」(1950)で「労務動員の強制」「誤つた強制徴用」と表現していた。あるいは同じく戦前外務事務官などを務めた森田芳夫は「在日朝鮮人処遇の推移と現状」(1955年)という文書で「強制移住」と表現している。


上の2つは資料にすらなりません。だいたい、いつからいつまで調べた期間が書いてありません。


雁屋氏が挙げている三つの新聞記事のうち、下の二つについては手元に資料がないので不明だが、一つ目の記事にある「米戦略爆撃調査団がまとめた連行数66万7千6百84人」は終戦直後にアメリカの要求を受けた厚生省が1945年10月10日に作成した「朝鮮人集団移入状況調」にある数字で、1939年〜1945年の動員政策(募集・徴用・官斡旋および女子挺身隊)によって日本内地に連行された朝鮮人の数を示している。


昭和十八年では


徴用ですらないやん('A`)


 案の定というか・・・やっぱりというか・・・


ご存じの通り、徴用が朝鮮半島に適用されたのは昭和19年9月からのこと。


朝鮮半島の徴用は・・・


昭和14年9月 一般募集
  ↓
昭和17年3月 官斡旋
  ↓
昭和19年9月 徴用

と3段階に分かれ、昭和19年になってからようやく施行されました。


一般募集や斡旋の時期は自由意志によって日本に渡航してきています。それも含んで「強制連行だ!!」と言っていた時代の新聞記事を持ってきて「強制連行あったんだ!!」と言ってるわけですね。


昭和19年以前に強制連行と書いてある資料は明らかに間違いです。


要は「募集・官斡旋」について「強制連行」と呼ぶべきではない、ということなのだろう。


確かに募集初期の頃には自発的に応じたという証言もあり、そうした動員も含めて「強制連行」と呼ぶのはおかしい、という主張には一応議論の余地はあるだろう*3


しかし、上記の資料で示したように募集、官斡旋の時期にも「野良で仕事最中の者を集め、或は寝込みを襲ふて連れて来る」「不意打的人質的拉致」「志願報国は強制」「出動は全く拉致同様な状態」「夜襲、誘出」「人質的略奪拉致」という例があったことが認められ、またそれを裏付ける証言もあるのだから、「自由意志によって日本に渡航」と、強制性を全否定するのは誤りだ。


なお、昨日の記事で述べた「朝日新聞の記事」についてもADON-K氏は触れていて、


正確に言うと『昭和34年に住んでいた在日朝鮮人の内、徴用で来日した人数』です。まあ増加した100万人の内訳がわかっているので、ごく少数だったということです。


とし、「245人=徴用された人数」ではないことは認識しているようだが、昨日の記事で述べたように徴用で日本に連行された朝鮮人は20万以上。決して「ごく少数」ではない。


それにしても不思議なのは、雁屋氏が提示した新聞記事を「そもそも、なぜ1990年3月6日から、1991年6月11日とわずかな期間の新聞記事をまとめたものを信じるのか私にはわかりません」「上の2つは資料にすらなりません。」と一蹴しながら、この「朝日新聞記事」の内容を無批判に信じているらしい、という点だ。


言うまでもなく、雁屋氏が提示した神戸新聞の記事も1959年の朝日新聞の記事も「資料」である。ただ、いかなる資料(または史料)も、そこに書かれた内容が全て事実であるとは限らず、検証・検討が必要だというだけの話だ。


最後に。ADON-K氏は雁屋氏に対し「強制連行に対する基礎的な知識が欠如しているのでしょう」と述べているが、その言葉をそのままADON-K氏にお返しする。中途半端な知識を披露する前に、例えばこちらなどを読んでみることをおすすめする。


朝鮮人戦時労働動員

朝鮮人戦時労働動員

*1:このハンドル、見覚えがあると思ったら、以前id:Apemanさんやid:bluefoxさん達に南京大虐殺の件で突っ込まれてた人だった。

*2:ここで言う「徴用」は現員徴用(軍需産業に従事している者が徴用扱いと見なされ、移動・転業を禁じられる)のこと。

*3:現に金英達氏や海野福寿氏のような強制連行研究者からも「強制連行」という用語に対する問題提起がなされた。なお「強制連行」という用語については「強制連行」か「戦時動員」か?などで論じている。