戦前の朝鮮人の密航について


こちらの記事にいただいたid:ryoo-sさんのコメントで思い出したことがある。





強制連行否定論者がことさら持ち出すネタに「朝鮮人の密航・密入国」がある。


確かに、戦前渡航制限(渡航「禁止」ではなく「制限」であることに注意。条件を満たし手続きすれば合法的に渡航できた。ただしそのためには賄賂が必要なことも多かった)のあった時期は朝鮮人の密航もかなりあった。ただし、そこには以下のような背景もあったということは、もっと知られていいと思う。


朝鮮からの渡航制度があって、坑夫を自由に採用されんから正規の手続きを経ずに、三菱、貝島、麻生の炭鉱は朝鮮人をこっそり密航させとった。特に大手の三菱と麻生は、朝鮮人坑夫を三分の一から四分の一使いましたからね。特殊な労務形態をなして、しかも麻生の場合は低賃金で、日本人坑夫とは待遇が違っとったからね。
(林えいだい「消された朝鮮人強制連行の記録p342、元日本炭坑坑夫組合主事、宮崎太郎氏の証言」)


昭和のはじめ頃から十三年にかけて朝鮮からの密航が流行して、ずい分たくさんの朝鮮人筑豊の炭鉱に送り込まれました。政府の渡航制限があって、許可がないので密航しか方法がないんです。


朝鮮では生活が苦しいので、現金をうるためにみんな日本に渡航したがった。炭鉱としても、朝鮮の植民地労働者の低賃金に目をつけて、いろんな方法で密航させましたからね。


炭鉱は北朝鮮の工業地帯に石炭船で石炭を送り、その帰りの空船にこっそり朝鮮人を連れて帰りました。


(中略)炭鉱側はそうした密航の朝鮮人は、やかましい頭領のいる朝鮮人納屋に入れました。彼らは炭鉱で働く気持はさらさらないから、日本へ着いたらすぐ逃げるつもりだった。炭鉱としては法を犯して密航させて来たので、それが公になると困るのよ。


「貴様たちは正規の渡航許可証を持ってないから、逃亡したりしたら憲兵から銃殺されるぞ!」


と、労務が脅した。


(中略)炭鉱は景気のいい時は朝鮮人をすぐ雇い、不景気になるとすぐクビを切ったからね。いわば炭鉱にとって、朝鮮人は消耗品としか考えとらんやった。雇用関係はすべて納屋制度のワクの中でするので、炭鉱自体にはあまり影響はないからね。炭鉱というのは、うまい具合に甘い汁を吸って来ている。
(「消された朝鮮人強制連行の記録」p400〜402、元麻生鉱業所赤坂炭鉱駐在所請願巡査*1、松藤要吉氏の証言)


豊かな生活を求めて日本にやって来る低所得の外国人(建前としては、戦前の朝鮮人も「同じ帝国臣民」ではあったが)と、低賃金労働者としての彼らを必要とする雇用側、という関係は、現在にも通じるものがあるように思う。また、問題が表面化すると非難されるのが前者のみ、という点も似ている。

*1:炭鉱側が県当局に請願して、炭鉱専用の巡査として配置したもの。松藤氏いわく「炭鉱の私兵のような感じで、結局は坑夫を脅す道具に使われた(p400)」。