鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(7)


戦時動員(強制連行)で日本に連行された朝鮮人のほとんどが終戦直後に帰国したこと、この事実は強制連行研究では常識であること、にも関わらず「〜神話」はそのことにきちんと言及せず(あるいは隠蔽し)、あたかも「強制連行論=在日が強制連行の被害者であるとする論」であるかのような印象操作・ミスリードをしていることは以前述べた。今回はその具体例を提示する。


「〜神話」の第一章「在日は強制連行の被害者である」では欧米人、日本人による強制連行に関する記述と並んで在日コリアンによる文章も紹介されているが、その一つに金賛汀「在日という感動」からの引用がある。以下、その部分を孫引きする。


在日朝鮮人が爆発的に増大したのは、日本の中国への侵略が本格化する一九三三年以降である。戦争で青壮年を軍隊にとられた産業界は、戦争景気で潤いながらも、労働力不足に苦慮した。特に石炭産業は若い坑夫不足で企業の存亡にかかわる深刻な事態を迎えていた。(略)その結果、一九三九年十月から朝鮮人労働者の「募集」が開始された。朝鮮人労働者強制連行の始まりである。


その後の侵略戦争の拡大で、日本の労働力不足はさらに深刻になり、その補充のため朝鮮での強制連行は年を追うごとに激しくなり、(略)その総数は百数十万人に達したと推定されている。


日本の敗戦後、多くの在日朝鮮人は朝鮮に帰国した。しかし、冷戦開始に伴う朝鮮半島での政治的、社会的混乱に不安を感じた人々、さらに長年にわたって日本に生活し、その生活基盤が朝鮮半島で失われていた人々が日本に残留した。その人々の総数は、約六○万人と推定されている。


今、在日朝鮮人と呼ばれている人々は、この日本の降伏時にも帰国せず、日本に残留した人々とその子孫である。
(「〜神話」p21〜22)


それを踏まえて、鄭大均氏は次のように述べている(太字による強調は引用者。以下同じ)。


第一に、在日コリアンが強制連行による被害者であるという言説には、いくつかの立場やニュアンスの違いが含まれていて、たとえば一方に、今日の在日コリアンが強制連行による被害者やその子孫であることを無垢に語る者がいれば、他方には、「強制連行」という言葉を使いながらも、今日の在日コリアンと強制連行の体験を直接に結びつけることを避ける者もいる。


両者の違いを見分けるのは必ずしも容易ではないが、その目安になるのは、「強制連行」という言葉の用法とともに、何が語られ、語られていないかの問題であろう。


たとえば、右の例でいうと、尹建次や金賛汀の文章は、「強制連行」という言葉を使い、戦時期の朝鮮人労働者の動員を語り、また敗戦後の在日朝鮮人の帰還を語りながらも、その帰還者の多くが、彼らが前段でいう「強制連行」による動員労働者であったということには触れていない。つまり両氏とも、今日の在日が強制連行による被害者やその子孫であるとは明言していないのであるが、にもかかわらず、混同されやすい文を書いているのである。
(「〜神話」p27)


この部分はあたかも尹建次氏*1金賛汀氏が、強制連行者が敗戦直後に帰国したことを知っていながらそれを曖昧にしているかのように読める。


ところで、このブログで「在日という感動」を紹介した際、次のように書いた。


金賛汀にはそのものずばり「証言 朝鮮人強制連行」という著書もある。


なぜ鄭大均はこちらから引用せず、(強制連行に関する著書ではなく、その記述もほんのわずかしかない)「在日という感動」から文章を引用したのだろう*2。その辺りに鄭大均の作為を感じる(あくまで憶測だが、「証言 朝鮮人強制連行」では戦時動員された朝鮮人の帰国についても触れているのではないだろうか)。


そこで早速金賛汀氏の「証言 朝鮮人強制連行」を取り寄せて読んでみたのだが、やはりというべきか、「解放の日」と題された章に次の記述があった。


「解放の日<ヘバンウイナル>(引用者注・1945年8月15日のこと)」は文字どおり、強制連行、強制労働からの解放の日であった。


(中略)すべての朝鮮人強制連行者が、帰国を急いだ。夢にまで見た故国の土を一刻も早く踏みしめたいという気持が混乱を激しくした。数十万人を越える帰国希望者を運搬する輸送手段は整っていず、日本側の敗戦による体制の混乱が、この混乱に拍車をかけた。


(中略)そのような状況のなかで、日本に進駐した米軍は朝鮮人の帰国を一時停止し、港に朝鮮人終結することを禁止した。このような禁止処置は、朝鮮人の帰国の要求をさらに激しいものにした。


(中略)このような混乱に加えて、炭鉱等に連行された朝鮮人労働者の帰国要求に対して、炭鉱と日本政府、ならびに進駐米軍は、採炭夫の半数以上の朝鮮人連行者が帰国することにより、石炭出炭量が激減することを恐れ、引き続き炭鉱での労働を強要した。


このような労働強制に対して、朝鮮人労働者は激しく反発し、即時帰国を要求して、立ち上がった。


進駐米軍は、再三にわたって布告を発し、朝鮮人労働者の闘争を弾圧しようとし、さらには“進駐軍”のために石炭を掘ることを要求し、“解放者”としての仮面をかなぐりすてた。


しかし米軍の布告ぐらいでは、朝鮮人労働者の帰国要求は抑えられず、かえって各炭鉱での朝鮮人の闘争をあおりたて、蜂起は全国の炭鉱に広がって行った。事態が混乱し、収拾が困難になるにしたがい、進駐米軍も、朝鮮人強制連行者を帰国させる以外にこの混乱を収拾する方法がないことを認め、彼らの帰国が再開された。


強制連行者の多くは、この時期に帰国した。しかし、もろもろの事情により、夢にまで見た故国に帰れない強制連行者も少なくなかった。


(中略)朝鮮人強制連行者は、いろいろの立場から解放の日を迎えた。ここに収録できたのは日本に残った人たちの記録であり、強制連行者のうち、日本に残ったのは、連行されたもののうちの十分の一程度ではなかったろうか?多くの強制連行者は、祖国に帰されることを望んだし、そのために大々的な闘争がくり広げられもした。


このようにして、朝鮮人強制連行者のうち帰国できた者は帰国し、種々の状況から帰国できなかった人たちは日本に残った。


はっきりと強制連行者の帰国について書かれている*3





さて、果たして鄭大均氏は「証言 朝鮮人強制連行」のこの記述を読んでいたにも関わらず、あえて頬かむりしたのか?それとも「証言 朝鮮人強制連行」を読んでおらず、「在日という感動」から引用したのはたまたまだったのか?


もし前者であるならば、これは悪質な印象操作・ミスリードと批判されても仕方がない。また、もし後者であったとしても、やはり問題があると言わざるを得ない。「強制連行」論を批判・検証しようとするならば、当然「強制連行」について書かれた専門書に目を通し、その主張を理解した上で批判すべきだ*4。にも関わらずそれを怠ったのなら、鄭氏はプロの物書きとして失格であろう。


鄭氏は「〜神話」の中で、朴慶植氏の「朝鮮人強制連行の記録」を「方法論的いかがわしさ」という表現で批判(揶揄?)している(p144)。しかし、本当に「方法論的いかがわしさ」という表現が妥当なのは当の鄭氏の「〜神話」の方ではないだろうか。


在日・強制連行の神話 (文春新書)

在日・強制連行の神話 (文春新書)


在日という感動―針路は「共生」

在日という感動―針路は「共生」


証言朝鮮人強制連行 (1975年)

証言朝鮮人強制連行 (1975年)

*1:「〜神話」で引用されている尹氏の文章は「もっと知ろう朝鮮」(岩波ジュニア新書)の記述。これについても今後検証していきたい。

*2:ちなみに「在日という感動」は在日コリアンの歴史と現状を、旧ソ連朝鮮人や中国の朝鮮族アメリカの韓国系アメリカ人のそれと比較した上で、未来への展望を模索しよう、という主旨の本であって、強制連行の記述は数ページに過ぎない。

*3:なお、同じく金賛汀氏の著書「在日、激動の百年」(朝日新聞社)にも「1946年3月までに130万人の帰国者が故郷を目指したが、その多くは日本に生活基盤を持たなかった強制連行者たちで、古くから日本で生活していた人々は日本に生活の基盤があるため、大半の人々は即帰国ということではなかった。」という記述がある(p103)。ただしこの本が刊行されたのは「〜神話」刊行の二ヶ月前なので、これに言及していないことで鄭大均氏を責めることはできないだろう。

*4:そもそも以前述べたように、鄭氏が読んでいるはずの「朝鮮人強制連行の記録」にも強制連行者の帰国については触れられているのだから、いずれにせよ鄭氏は言い逃れできない。