岩波は良い本たくさん出してるとは思うのだけれど。


前回紹介した本も岩波の本だし。

でもここhttp://watashinim.exblog.jp/を読むと、中はいろいろあるみたい。

よく「共産党は官僚を批判するのに、体質が官僚的」みたいなことが言われるけれど、岩波書店も同質の問題を抱えているのかもしれない。


ところでここhttp://shutoken2007.blog88.fc2.com/blog-entry-14.htmlに板垣竜太氏がコメントを寄せていて

私も、一応「岩波の筆者」の部類に入るのかと思うが(それとも単著はないから入らないのかな?何を基準にしているのか、よく分からない)

と書いているけれど、多分この本のことだろう。

日韓 新たな始まりのための20章

日韓 新たな始まりのための20章


マンガ嫌韓流」に代表される「嫌韓ブーム」に対抗(?)して書かれたこの本も非常に面白かった。読みやすいし、値段もお手頃。特に板垣氏による次の一節が非常に印象的だった。


韓国社会は多くの問題を抱えている。そのなかには少子高齢化格差社会など、日本社会と共通したものもあるし、南北分断状況がもたらす矛盾など韓国に特有の問題もあるだろう。<嫌韓流>現象における特徴の一つは、韓国の抱える問題点をあげつらうという点がある。また文献(5)(引用者注:宝島社「嫌韓流の真実!場外乱闘編」)は現代韓国の様々な問題をあげつらう、自称「笑韓流」の書である。私は、ちょっと韓国に深入りした挙げ句に韓国嫌いになった人から、こうした語りを嫌になるほど聞いてきた。


繰り返すが、韓国社会は問題を抱えている。ただ、それを他人事として、韓国一般の問題として、「かれら」の問題として語る場合、それは結局のところ日本に住んでいて、日本人で良かった、という言説の裏返しにすぎない。つまり、自らのナショナルな主体を保全するために、韓国を鏡として利用しているに過ぎない。


反対に、韓国の良い面ばかり語るような「友好」も、結局は韓国の抱える問題を「かれら」の解決すべきものとして遮断し、やはり日本人向けの鏡として韓国を利用するという点で、コインの裏表の関係にある。うわべだけの「友好」の気持ち悪さは、<嫌韓流>現象の一つの原動力となっている。その気持ち悪さは、私もまた共有するものである。しかし、だからといって、悪口を言い合えばよいというわけでもない。それは、相互にナショナルな主体を強化するだけである。


韓国社会の問題について語るとき、同時に、それに対して悩み、積極的に取り組み、闘っている人々の姿や、その現場が想起され、そことつながり、自己を含めて変革していくことができるような関係への志向性、それが<嫌韓流>にも<韓流>にも決定的に欠けている。例えば、韓国社会における障害者の問題について語るとき、韓国で障害者差別と闘っている人たちの姿、その現場、その言葉を想起し、それとつながるためにはどのような論理や実践が必要なのか、そうした悩みを伴った関係性が必要なのである。それを仮に「連帯」とよぶならば、それはただ握手し仲良くなるだけの関係ではないし、こうあってほしいという相手のイメージを他者に押しつけたうえで結ばれる関係でもないだろう。相互間で歴史的・社会的に形成されてきた溝の存在を直視し、「未来志向」などというかけ声でその溝を一気に跳び越してしまわずに、なおかつ共通の問題に取り組んでいくような関係。それをどうつくっていくかが、いま最も切実な課題であろう。


まあそれはそれとして。岩波は、ここまで情報が開示されている以上、もう少しきちんとした対応をすべきだと思う。