渡辺清「砕かれた神」

砕かれた神―ある復員兵の手記 (岩波現代文庫)

砕かれた神―ある復員兵の手記 (岩波現代文庫)


以前紹介したジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」の中でこの本の文章がかなり長く引用されていた。


↑では岩波現代文庫を挙げているが、図書館で借りて読んだのは評論社のもので「昭和52年4月29日 初版発行」とある。ちなみに朝日からも出版されているようなので、ひょっとすると結構有名な本だったりするのだろうか。


筆者渡辺清は1926年生まれ。1941年に海軍に志願し、レイテ沖海戦にも参加。撃沈された武蔵にも乗っていた。


本書は、昭和二十年九月二日から翌年四月十九日までの日記の体裁をとっている。皇国思想に染まりきっていた「おれ」は、敗戦のショックもさることながら、天皇マッカーサーに屈服し、また戦争に対する責任も果たさないことに絶望し、怒りを抱くようになる。また当時の日本の様相―「鬼畜米英」から「アメリカ万歳・民主主義万歳」へと悪びれもせず変節していくさまや、復員兵に対する冷淡な態度など―に対する「おれ」の怒りも描かれている。



当時の日記そのままとは思えない部分もあるので、恐らく(全くの創作ではないにせよ)後から加筆・修正した部分もあるのではないかとは思うが、それをさし引いて読んでも、当時の様子を窺い知ることができて興味深い。


また、夏目漱石の「坊っちゃん」を思わせるような簡潔で歯切れの良い文体も読みやすくて良い。これは一人の若者が激動の時代の中、自己を確立していく、ある種の「青春小説」でもあると思うので、高校生くらいの人にも読んでみてほしい、とも思う(それと「ネット右翼」の人の感想も少し気になる。「戦後民主主義」と「天皇」の両方を激しく糾弾するこの本を、彼らはどう読むのだろうか)。



ところで、この本の中で南京事件に言及している部分があった。南京事件について関心のある人にとってはさほど目新しいわけでもないのだろうけど、せっかくなので当該部分をメモしておく。

夕じゃに帰ったら、川端の火じろ端に宮前のほうの博労が二人お茶を飲んでいた。肥った赤ら顔のじいさんと、こびんに大きな火傷の痕のあるそっ歯の男だ。川端の種牛わ見にきたらしく、はじめは牛の値段がどうのこうのいっていたが、そのうちに戦争の話になっていった。おれは上がりかまちに腰かけて夕じゃをよばれながら、反っ歯がじいさんにこんなことを自慢げに話しているのを聞いた。


「上海から南京まで進撃していく間に、そうだな、おりゃ二十人近くチャンコロをぶった斬ったかな。まあ大根を輪切りにするみてえなもんさ、それから徴発のたんびにクーニャンとやったけや、よりどりみどりで女にゃ不自由しなかった。ほれ、この指輪も蘇州でクーニャンがくれたやつさ。たいしたもんじゃないらしいけんど、そのときもこれ進上するから命だきゃ助けてくれって泣きつきやがったっけ。でもさ、生かしておくってえとあとがうるせえから、おりゃ、やったあとはその場で刀でバッサバッサ処分しちゃった……まあ命さえあぶなくなきゃ、兵隊ってのは、してえ事ができて面白えしょうばいさ。それでお上<かみ>から金ももらえるんだから、博労なんかよりもずっと割がいいぜ」


おれはひどい奴だと思った。やったこともひどいが、それ以上におそろしいのは、それにたいしてこの男がすこしも罪の意識のないことだ。もし娑婆でそんなことをすれば、この男は極悪非道な殺人犯としてとうに自分の首が飛んでいるところだろう。ところが戦争ではそれがなんの罪にもならず、曹長にまで進級してこうしてそれを自慢しているのだ。たとえ敵国民にせよ、無辜の人間を殺したことには変りはないのに……。


反っ歯は南京でのことも話していたが、その残忍さにおれは耳をうたぐったほどだ。あらかじめ本人に穴を掘らせておいてその盛土の上で首をはねたり、女や子供たちを学校の運動場に並ばせておいて、機関銃で射殺したり、ある場合には川原に連れていって頭から石油をぶっかけて生きたまま焼き殺してしまったそうだ。反っ歯の話では、そんなふうにして殺された人の数は南京だけでも五、六万人はいただろうという。


おれは支那(中国)のことは入団前も戦地から帰還してくる村の兵隊からいろいろ聞かされて、その様子はうすうす知っていたが、こんなにひどいとは思わなかった。せんだっての新聞にも今度の戦争で支那に与えた被害は、死傷者や家財を失った者をふくめて二千万人にのぼるだろうと出ていたが、二千万といえば日本の総人口の実に四分の一ではないか。


しかも支那との戦争は、こちらから押しこんでいった一方的な侵略だった。この責任は重大である。償っても償いきれるものではない。だが日本はいまだに中国にたいしてなんの謝罪もしていないし、天皇もそのことでひと言だって謝っていないのだ。博労の無反省な自慢話ももとはといえば、政府や天皇のそういう無責任さからきているのかも知れない。無責任な天皇をそれぞれがそれぞれの形で見習っている。“天皇がそうならおれだって ”というなかば習性化された帰一現象……おれにはそうとしか思えない。


しかしこれを個人的に考えれば、博労のいうクーニャン殺しといい、南京での惨殺行為といい、他人事ではすまされない。たしかにおれは直接支那の戦線には出なかった。海軍からも陸戦隊がだいぶ行ったらしいが、おれはいちども支那の土は踏んだことがない。だがもしそこに居合せたら、おれだって何をしでかしたかわからない。


これは海上戦闘でなん度か経験したことだが、弾の下では誰しも自分が自分でいられなくなる。あとさきの見境いもつかなくなるほど狂ってくる。逆上する。とすれば、おれが直接人を殺さずにすんだのは、たまたまその場に居合せなかったということだけではないのか。それを考えるとおれは自分にぞっとする。艦にのっていたおかげで、直接手をくださずにすんだが、それも今になってみると、気やすめにすぎないという気がする。