「強制連行」か「戦時動員」か?

さて、前回の記事で、金英達氏が「強制連行」という言葉に対して慎重な態度を取り、「戦時動員」という呼称を提案したことを紹介した。今回はそれに関する補足。



前回示したように、金英達氏が「強制連行」という用語の使用に慎重だったのは、その「範囲」があいまいだから、という理由による。「強制連行」という場合、だいたい「国家総動員法に基づく『募集』(1939年9月〜1942年2月)、『官斡旋』(1942年2月〜1945年3月)『徴用』(1944年9月〜1945年3月)」を指す。ただこれらの動員先は日本(内地)の他、サハリン、南洋、朝鮮半島内部など、さまざまな地域に分かれている。また、戦時中の朝鮮人に対する動員は上記のものだけではない。女子勤労挺身隊や徴兵、志願兵、軍要員(軍属)などもある。



これらを「強制連行」に含めるかどうか、あるいは募集・官斡旋・徴用などの内、日本内地に動員された者のみを指すのか、それ以外の地域の動員も含めるか、によって範囲や人数が違ってくる。そうしたことを踏まえずに、例えば「強制連行の人数」を論じても話が混乱してしまう。だから「強制連行」という言葉を安易に使わず(使う場合は定義・範囲を明確にした上で使う)「戦時動員」という呼称の使用を提示したのである。これは戦時動員の「強制連行」性を否定しているわけではないことは前の記事で引用した

朝鮮人の戦時動員は、日本人の動員とも違い、一般的な朝鮮人の日本への渡航とも異なるのは、このような特徴的現象があるからです。この現象のうち、動員が朝鮮から朝鮮外への移動であったこと、その移動が国家の政策として法的・行政的強制力が働いたことから、その点を強調して「朝鮮人強制連行」と一般に言われているのです。その言葉には、日本帝国主義侵略戦争や植民地支配を厳しく告発する意味が込められています。*1


という部分を読めば明らかである。現在の「強制連行」研究は、こうした金英達氏の問題提起を踏まえている。




また、「強制連行」という言葉には別の意味での問題もある。「強制連行」、つまり「無理矢理連れてこられた」という点のみが強調されると、それ以外の問題が見えにくくなる、という点である。




例えば以前紹介した「朝鮮人戦時労働動員」では「朝鮮人強制連行」を「朝鮮人戦時労働動員」とし、そこで取り上げる範囲を「募集・官斡旋・徴用」における日本(内地)への動員と明示した上*2で次のように述べる。


本書で企業への朝鮮人強制連行を朝鮮人戦時労働動員と呼ぶ理由は、朝鮮人強制連行という呼称では、強制労働、とくに民族差別の問題に眼を向けられなくなるおそれがあるからである。*3

こうした現在の研究を踏まえて、このブログでも基本的には朝鮮人「強制連行」を「戦時動員」あるいは「戦時労働動員」と呼ぶことにする。ただしくり返しになるが、これは戦時動員の「強制連行」性を否定しているわけでも、「強制連行」という呼称を全否定しているわけでもないということは強調しておきたい。


なお、最近はニュース報道などでも「強制連行」という言葉が使われなくなってきているようだ。「強制連行」に否定的な人々(嫌韓ネトウヨ)がそれに対して「強制連行が嘘だということが明らかになったから、言葉をすりかえているのだ!」みたいなことを言っているのを見かけるが、おそらくこうした風潮は上記のような研究成果を踏まえてのことだと思う。


このままいくと、将来的には「朝鮮人強制連行」という言葉は使われなくなるかもしれない。しかしそれはそれで構わないと思う。金英達氏が「問題は用語ではなくて、歴史の事実です」*4と述べたように、呼称よりもその実態を認識することの方がより重要なのだから。<追記>「強制連行」と「戦時動員」の関係というのは、ちょうど「南京大虐殺」と「南京事件」の関係に似ている。自分としては「南京で起こったことは『虐殺』だけではないから」ということもあり基本的には「南京事件」の語を用いるが(これも「南京大虐殺」という用語を否定しているわけではない)、世の中には「南京事件はあったけど南京大虐殺はなかった」とかトンチンカンなことを言う人も少なからずいて、何だかなあ。




関連:「強制連行」という言葉について」http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20060726

*1:金英達著作集II」p23

*2:ただし、だからといって、その他の動員形態に問題がなかったとしているわけではない。

*3:朝鮮人戦時労働動員」p11

*4:金英達著作集II」p24