鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(2)

前回の記事朝鮮人戦時動員(強制連行)の定義・範囲ということについて触れたが、実をいうと、この「定義」について語る時、いつも胸にモヤモヤした、ざらついた感覚を覚える。「自分が言いたいことはこれ(だけ)ではないのに」という感覚、あるいはある事を主張するために、別の大切なことを切り捨てているかのようか感覚。今回は「〜神話」に触れる前に、まずそのことについて述べてみたい。


「定義」の「意味」と「無意味」

そもそも、歴史学に限らず学問全般において、雑多に存在する物事・事象を定義付けし、他と区別すること、つまり「Aは○○ではあるが、Bは○○には含まれない」と区別・整理することは必要なことだ。例えば南京事件の犠牲者数について論じる場合、日本軍が南京へ進軍する途中に殺された犠牲者の数はカウントされない。



だが、これはあくまで学問上の、というより便宜上の話である。こうした被害者や犠牲者その家族、あるいはこうした被害者の「痛み」に共感する者にとって、こうした定義・区別にどれだけの意味があるだろう。南京で殺された者と、南京への進軍中に殺された者とで、その「痛み」に差はないはずだ。また、南京への進軍と南京事件とは時系列的にも因果関係的にも連続しているのであるから、その意味においてはそれらを分断することに意味はない。



朝鮮人戦時動員(強制連行)においても同様である。例えば動員政策が始まる以前の時期、悪質な斡旋業者に騙されて日本に連れてこられ、劣悪な環境で重労働を強いられた朝鮮人も少なからずいたのだが、これは「戦時動員」には含まれない。しかし業者に騙されて受けた苦痛と植民地政策によって受けた苦痛は同質のものだ。その「痛み」ということを考える上では両者に差はない。



繰り返しになるが、南京事件にせよ戦時動員にせよ「定義」は必要だ。しかしそれは絶対的なものではなく、あくまで便宜的なものに過ぎない、という認識も、同時に必要とされるのではないか。その事を忘れ、ただ機械的に「定義」のみにこだわるならば、それは歴史の連続性を無視することになるのみならず、ある意味「暴力的」とも言えるのではないか。


「『朝鮮人強制連行の記録』再考」再考

さて、以上の点を踏まえて再び鄭大均氏の「〜神話」を読んでみたい。

在日・強制連行の神話 (文春新書)

在日・強制連行の神話 (文春新書)

彼は朴慶植氏の「朝鮮人強制連行の記録」を批判した「第四章 『朝鮮人強制連行の記録』再考」において、「朝鮮人強制連行」という言葉は50〜60年代には一部の左派の間のみで使われていただけだったのが、80年代になって一般に浸透してきた、ということ*1を指摘した上で次のように述べる。


この言葉(引用者注・「強制連行」という言葉)はやがて、日本の隣国に対する加害者性を語るときの手軽なキーワードとなり、『朝鮮人強制連行の記録』はそのバイブル的な存在になるのだが、この本は名前ほどには内容が知られていない。在日論の「古典」であるとか、「名著」であるという評価はあっても、その内容が批判的に検討されたことはほとんどないのである。
やや例外的といえるのは、本書でもすでに何度か登場した在野の研究者である金英達による次の指摘であろう。<朴慶植氏の『朝鮮人強制連行の記録』以来、「強制連行」の言葉が、日本帝国主義の朝鮮植民地支配の悪業の一として、人口に膾炙しているが、この本のなかでは、日中戦争・太平洋戦争中、日本政府による朝鮮人労務者・軍人・軍属・従軍慰安婦・「満州」移民としての戦争遂行のための動員を、植民地支配―被支配の関係における強制力や遠方地への動員に着目して、「強制連行政策」と称しているにすぎない。問題点を直截に表現し、世論にアピールする用語として「朝鮮人強制連行」なる言葉を使っているのであって、歴史用語として厳密に言葉の範囲を定義づけているものではないのである。しかし、この朴慶植氏の問題提起は、衝撃的に世論および研究者の意識を喚起し、それ以来、「強制連行」という言葉は独り歩きを始め、あたかも特定の時期における特定の事象を指す歴史上の専門語であるかのように受けとめられている>(金英達前掲書、一一九―一二○頁)

右の文がいうように、『朝鮮人強制連行の記録』には二○年代の事象も三○年代の事象も含まれている。口絵写真の冒頭(一頁目)にあるのは一九三二年の「岩手虐殺事件で殺された朝鮮人労働者(1932)」であり、次頁(二頁目)にあるのは一九三二年の「岩手虐殺事件で殺された朝鮮人労働者(1932)」であり、次頁(二頁目)にあるのは二三年の「関東大震災」という具合である(一四七頁参照)。『朝鮮人強制連行の記録』という本の書名と事象の間に指摘できるのは、名前を偽って事象を歪めるという態度であろうか。*2

まず、「その内容が批判的に検討されたことはほとんどない」と言うが、朴慶植氏(およびその著書「〜記録」)を「批判的に検討」した研究者は金英達氏の他にもいた(例えば海野福寿氏)し、別に朴慶植氏が「強制連行教の教祖」として盲目的にマンセーされていたわけではない、ということは指摘しておきたい。



しかしここで一番問題にしたいのは次の部分だ。


朝鮮人強制連行の記録』には二○年代の事象も三○年代の事象も含まれている。口絵写真の冒頭(一頁目)にあるのは一九三二年の「岩手虐殺事件で殺された朝鮮人労働者(1932)」であり、次頁(二頁目)にあるのは一九三二年の「岩手虐殺事件で殺された朝鮮人労働者(1932)」であり、次頁(二頁目)にあるのは二三年の「関東大震災」という具合である(一四七頁参照)。『朝鮮人強制連行の記録』という本の書名と事象の間に指摘できるのは、名前を偽って事象を歪めるという態度であろうか。

これだけ読むと、あたかも「〜記録」が岩手虐殺事件や関東大震災時の朝鮮人虐殺をも「強制連行」の犠牲者に含めているかのように見える。しかしこれが間違いであることは「〜記録」の目次を見れば一目瞭然だ。「〜記録」は第六章まであるのだが、そのうち一・二章の見出しを以下に書き記す。


一 祖国を奪われ日本へ(一九一○―三八年)


(1)祖国を追われて日本に渡航
(2)在日朝鮮人の生活状態
(3)在日朝鮮人に対する迫害


二 強制連行(一九三九―四五)


(1)強制連行政策
(2)強制連行状況と労務管理
(3)強制的な訓練状況
(4)逃亡の続出と弾圧政策
(5)死傷状況と遺骨問題
(6)無責任な日本政府

と明確に「強制連行」を1939〜45年、すなわち戦時中の動員を指す言葉として規定しているのである。*3



では、なぜ朴慶植氏は「〜記録」の中で「強制連行」の範疇外の岩手虐殺事件や関東大震災など1920〜30年代の事柄についても触れているのか。前段で言及したことを踏まえれば明らかだろう。朴慶植氏は戦時中の「強制連行」を、それ以前からの植民地政策と連続したものとして捉えていたからだ。



南京事件が1938年の南京で何の脈絡もなく起きたわけではないのと同様、「強制連行」も前触れもなしに突然起きたわけではない。そこにはそこに到る背景・歴史的連続性・必然性があるし「戦時動員」の定義に含まれない動員*4も「戦時動員」と密接に関わっているのである。



もうひとつ言うなら、戦時動員における分類や定義に大きく貢献した金英達氏も、こうした連続性に無自覚であったわけではないことは、例えば「この朝鮮人戦時動員問題の本質は、日本帝国主義が朝鮮植民地統治という他民族支配のなかで、自らの侵略戦争の遂行に被支配者の朝鮮人を無理矢理に利用したという構造にあります」*5という一文を見れば明らかであろう。


まとめ

戦時動員において、その定義を明確にすることは必要なことである。しかし、単にそれのみを問題視し、その範疇に収まらない事象を無視しては「木を見て森を見ず」の過ちを犯すことになる。戦時動員の実態を正しく捉えるためには、そのものだけでなく、その背景をもきちんと見据えなければならない。これは強制連行否定論者が言う「強制連行の拡大解釈」とは全く別である。



朝鮮人強制連行の研究 (金英達著作集) (金英達著作集 2)

朝鮮人強制連行の研究 (金英達著作集) (金英達著作集 2)

朝鮮人強制連行の記録

朝鮮人強制連行の記録




<9/1追記>id:Arisanさんのこの記事も、同じような問題意識で書かれたものだと思う。

「強制連行」という言葉について」http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20060726

*1:この部分のみで言えば、鄭氏の指摘は間違いではないだろう。

*2:「〜神話」p120〜122

*3:付言するなら、鄭大均氏は金英達氏の指摘を微妙にずらしている。金氏は「日中戦争・太平洋戦争中、日本政府による朝鮮人労務者・軍人・軍属・従軍慰安婦・『満州』移民としての戦争遂行のための動員を……『強制連行政策』と称している」と言っているのに、鄭氏はそれを受けて「右の文がいうように、『朝鮮人強制連行の記録』には二○年代の事象も三○年代の事象も含まれている」としている。また金氏の引用部分における主張は「〜記録」の批判より、むしろ「強制連行」という言葉が「独り歩き」してしまったことに主眼をおいている。

*4:例えば軍要員や日本内地以外の地域への動員など。

*5:金英達著作集II」p22