鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(3)

続・「『朝鮮人強制連行の記録』再考」再考


前回に続き、「〜神話」の「第四章 『朝鮮人強制連行の記録』再考」の内容を検証していく。



在日・強制連行の神話 (文春新書)

在日・強制連行の神話 (文春新書)



鄭大均氏は「方法論的いかがわしさ」と題した一節で次のように言う。


しかしおそらく、関係者の間では知られていたことではなかったかと思うが、朴慶植の本にはかなり初歩的な誤りというかごまかしがあり、このこともやはり部分的には金英達によって指摘されている。氏は九○年代初めに記した論文で、『朝鮮人強制連行の記録』の統計数字には「どこの馬の骨か分からないような数字」からの引用があり、それが他書にも孫引きされる過程でいっぱしの統計数字として闊歩していく様を、「マネー・ロンダリング」ならぬ「フィギュア・ロンダリング」(不確かな統計数字の洗滌)と呼び、次のように記している。*1

この後「金英達著作集II」p124〜128の引用が続くのだが、表なども含んでおり煩雑になるのでここでは省略する。かいつまんで言うと金英達氏は「〜記録」に収められた統計数字の内、1945年の在日朝鮮人の「国勢調査」による居住人口として記されている数字が朴在一「在日朝鮮人に関する綜合調査研究」を元にしたものであり、またこの数字はいくつかの資料を元に朴在一が算出した推計値であること、それを「〜記録」が注記しないことは誤解を生むということ、また在日朝鮮人の居住人口として記された「2,365,263」という数字の原典「日本残酷物語」の記述は執筆者が明らかでなく、その数字の出所も明確でないことを指摘した上で、


このような文責もあいまいで、出所の明らかでない数字は、あくまでも一つの参考資料程度にとどめるべきであろう。そして、引用に際しては、そのことをはっきりと注記すべきであって、その数字だけをはさみで切り取って、性格の違う内務省統計にのりでくっつける表の作り方は、誤解を生むもとである。もしかりに、一九四五年時の在日朝鮮人数は既存の統計数よりももっと多いはずだと考え、たまたまそれに見合った数字があったから採用したという動機が働いていたとすれば、研究者としての科学的態度が問われるであろう*2

と手厳しく批判している。



この金英達氏の文章に対して鄭大均氏は「朴慶植の方法論的いかがわしさとその感染力について触れた重要な指摘」と評価し、また朴慶植氏に対して「朴慶植という人は、目的のためには事実を歪めることをいとわない人」「『見えるものを見ようとしない。見える通りに見ようとしない』(ニーチェ)というだけではない。朴は『見えないものも見た』というのである」「なぜこのように読者を欺くようなことを記しているのだろうか」「あるいは、こういう小さなウソなしには、『朝鮮人強制連行の記録』を書き上げることはできなかったのだろうか」「一度猜疑心が生じてしまうと、何でも怪しげに見えてしまう」*3といった言葉を投げかける。要は「朝鮮人強制連行の記録」および朴慶植氏は「怪しい、うさん臭い、信用できない」と読者にアピールしているのである。



では、ここで例によって「金英達著作集II」の中から「〜神話」に引用されていない箇所を読んでみる。以下は鄭大均氏が引用している「『朝鮮人強制連行』概念の再構築と統計引用における“フィギュア・ロンダリング”」という論文の「おわりに」の部分である(太字による強調は引用者)。


以上、「強制連行」の概念と統計数字の引用上の問題点についての私見を述べてみた。文中では、朴慶植先生をはじめ先学に対して批判めいた言葉も弄しているが、それはあくまでもそれぞれの時代における資料的な制約のもとでの研究に対し、現時点からみて訂正すべきことを指摘したまでである。私たちの研究そのものが、先学の業績を土台にしているのであり、さらにそれを発展させることが私たちの務めである。
朝鮮人戦時動員についての歴史的事実を解明し、今なお残されたままになっている問題の解決のために、本稿の問題提起がいささかなりとも寄与できることを願っている。読者諸氏からの批判、反論を期待したい。*4

ここで、以前の記事で引用した金英達氏の一文を並べてみると、金氏がなぜ朴慶植氏の「〜記録」を厳しく批判したか、よりはっきりするだろう。


ここ数年、日本では「自由主義史観」という看板を標榜するグループによる日本近代史の見直しの動きがあります。この人たちは、明治維新以後の日本の帝国主義的領土拡張の歴史を“栄光の民族発展史”と美化したいので、日本の侵略戦争や植民地支配を正当化するためあれこれと弁解に努めています。いままで「南京事件」や「従軍慰安婦」が焦点になっていましたが、そのうちに「朝鮮人強制連行」の問題も取り上げてくるでしょう。そのときは「強制連行」という言葉が攻撃の的になるのではないでしょうか。
「強制連行」とは何かということは、人それぞれの定義によって異なってくる用語の問題として共通理解が得られにくい面があります。しかし、問題は用語ではなくて、歴史の事実です。そして、事実にもとづいた歴史の解釈と教訓です。私たちは、朝鮮人戦時動員の歴史を明らかにし、その本質を指摘しながら、侵略戦争や植民地支配を擁護する日本版歴史修正主義の動きに対抗すべきでしょう。*5

もうおわかりだろう。金英達氏が先輩である朴慶植*6を激しく批判し、また「強制連行」という用語を注意深く扱おうと提案したのは「私たちの研究」、すなわち朴慶植氏をパイオニアとして始まった朝鮮人戦時動員研究を発展させ、そうすることで「今なお残されたままになっている問題」を解決するため、またその障害となる「自由主義史観」や「歴史修正主義」、具体的には鄭大均氏が「共感」するという西岡力氏や杉本幹夫氏らの勢力に「対抗」するためなのであって、決して彼らに与する人間の著書の説得力を補強するためなどではない。


まとめ

以上で見てきたことから、真に「方法論的いかがわしさ」という言葉にふさわしいのがはたして誰なのか、お分かりいただけると思う。



最後にもうひとつ、金英達氏の言葉を引用したい。前述の「フィギュア・ロンダリング」について述べた論文中の言葉である。


それでは、統計数字を正しく引用するためにはどうしたらよいか。一言で言えば、「できるだけ洗濯前の原資料、一次資料を自分の目で確かめる努力をせよ」ということである。つまり図書館に通ったり、著者に問い合わせたり、古本屋を回ったり、コピーしたりする手間を省かないで、とことん元の数字の出所を追いかけることである。*7

この言葉を目にした時、不思議な感慨を覚えたものだ。手前味噌のようだが、正に自分が「洗濯前の原資料、一次資料を自分の目で確かめ」ようとして出会ったのが、この本だったのだ。この本を紹介してくれた鄭大均氏には感謝の言葉もない。*8



また金英達氏の言葉は、ネットで玉石混淆の情報が飛び交い、個人のメディア・リテラシーが求められる現在においても非常に示唆的である。この記事を読んで下さった方には、実際に金英達氏の著書を読むことを強くお勧めしたい。値段的にも手軽に手にすることのできる本ではないが(ただし大きな図書館には置いてあると思う。もし近くの図書館になくても、リクエストをすれば取り寄せてくれる)、それだけの価値のある良書である。



朝鮮人強制連行の研究 (金英達著作集) (金英達著作集 2)

朝鮮人強制連行の研究 (金英達著作集) (金英達著作集 2)

*1:「〜神話」p139

*2:「〜神話」p144

*3:「〜神話」p144〜145

*4:金英達著作集II」p135

*5:金英達著作集II」p23〜24

*6:金英達氏は1948年、朴慶植氏は1922年生まれ

*7:金英達著作集II」p133

*8:もちろん、皮肉だ。