鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(1)


さて、少し前に予告したように、今回から何回かに分けて鄭大均「在日・強制連行の神話」(以下「〜神話」と略す)について検証していきたいと思う。



在日・強制連行の神話 (文春新書)

在日・強制連行の神話 (文春新書)


この「〜神話」を取り上げる理由はいくつかあるのだが、ひとつには「私が共感するのは『強制連行』論よりは、それに対する批判のほうであり、『強制連行』という言葉の使用には懐疑的である」というこの本*1が新書という(廉価で、手に取りやすい)形で出版され、強制連行についての書籍の中では現在最も広く読まれていると思われるから、というのがある*2

その前に、個人的な話を少し。この本を読んだのは去年のことだった。強制連行についてはネット上の否定論をざっと読んだことがあるくらいでほとんど知識がなかったため、まず強制連行について活字で書かれたものを読みたいと思い手にしたのが本書だった。


一読して、強く感じたのは「何か変だなあ」という思いだった。どこがどう変か、というのは、何せ知識がないのでうまく言えなかったが、どうも文章が歯にものが挟まったような感じだし、論理展開も強引に思えた。



ところで「〜神話」では金英達<キムヨンダル>氏の「金英達著作集II 強制連行の研究」(以下「金英達著作集II」)が何度も肯定的に引用されている。彼は朝鮮人戦時動員研究において画期的な成果を残した人であるのだが、当時はもちろん知らなかった。たまたま図書館にその本があったので早速借りたのだが、読んでみて非常に驚いた。「〜神話」の引用による印象と実際の「金英達著作集II」ではまるで印象が正反対だったのである。南京事件論争に詳しい人向けに分かりやすく言えば、東中野修道氏が資料を恣意的にねじ曲げて引用して印象操作を行うやり方に極めて近い*3。今回は、「〜神話」において「金英達著作集II」がどのように扱われているか、それが「金英達著作集II」の主旨をどのようにねじ曲げて印象操作が行われているかを明らかにしていきたい。


「〜神話」における記述

「〜神話」ではまず「第一章『在日は強制連行の被害者である』」で、学校教科書や在日コリアン研究者の著作などを引用したのに続き、「第二章 反論」ではそれに対する「反論」として「金英達著作集II」から二ヶ所の部分を紹介・引用している。以下、その部分を孫引きする(引用中の(略)は「〜神話」の記述のまま。また機種依存文字の丸数字を(1)(2)…と改めた)。

強制連行論に対する批判や反論のもう一つの論点は、敗戦直後の引き揚げに注目するもので、戦時期の動員労働者の多くは故郷に帰ったのだから、今日の在日を「強制連行の被害者」と見なすのはおかしいという指摘がそれである。コリア系日本人の在野研究者である金英達(本名・大野英達)は次のようにいう。 <朝鮮での生活苦のため内地で職を求めたい朝鮮人のなかには、「募集」や「官斡旋」の方式に応じて集団移入労務者として内地に渡り、配属された事務所から脱走して(略)内地定着を図った者もいました。これらの人々の一部は、解放後(戦後)も日本に残りました。
しかし、それ以外の内地への集団移入朝鮮人のほとんどは、日本の敗戦とともに強制移動・強制就労の束縛から解放されて、直ちに朝鮮に帰還したので、解放後も日本に駐留することはありませんでした。もちろん、日本軍の作戦行動の一環として、敗戦時に内地に駐留していた朝鮮人の軍人・軍属は、内地在住出身者を除いて、最優先的に朝鮮帰還の措置が取られて帰郷しました。
ですから、現在の在日朝鮮人社会と戦時中の強制連行を短絡的に結び付けることは正しくありません。朝鮮人の戦争への強制動員は、(1)日本帝国主義侵略戦争の歴史の一部であり、(2)日本の朝鮮植民地支配の歴史の一部であり、(3)在日朝鮮人史の一部でもありますが、解放後の在日コリアン社会の構成要素になったわけではないのです>(『金英達著作集II 朝鮮人強制連行の研究』明石書店、二○○三年、二一頁)*4





「強制連行」という言葉やその用法に対する批判もある。先に引用した金英達は次のようにいう。 <強制連行者の名簿とか、強制連行の人数とか、強制連行に対する補償とかを問題にする場合には、あらかじめ「強制連行」の用語の定義がはっきりしており、その対象範囲が明確になっていなければならない。そして言葉の中身(概念の内容)や範囲(概念の外延)が一般に受け入れられていて、共通理解が形成されなければならない。
ところが(略)、「強制連行」は、その定義が確立されておらず、人によってまちまちな受け止め方がなされている。したがって、名簿とか人数とかいう対象範囲を明確にしなければならない問題において混乱がひどい。
もともと、強制連行とは、「強制的に連行された」という記述的な用語である。そして、「強制」や「連行」は、実質概念であり、程度概念である。その実質や程度について共通理解が確立されないまま、強制連行という言葉だけがひとり歩きして、あたかも特定の時代の特定の歴史現象をさししめす歴史用語であるかのように受けとめられていることに混乱の原因がある。
したがって「強制連行」という言葉を使う人は、それぞれに、あらかじめ用語の意味と範囲をはっきり示さなければならない。(略)
そこで私の提案として、戦争中の朝鮮人に対する強制的な動員については、総称として「戦時動員」という用語を使い、その戦時動員のなかの具体的な現象であった暴力的な動員が「強制連行」であると概念を再構築してみたらどうかと思うのである>(金前掲書、四五―四六頁)

金英達は右のように記し、「戦時動員」という用語の使用を提案しているのだが、没後に刊行された『金英達著作集』(明石書店)の第二集のタイトルは『朝鮮人強制連行の研究』である。金英達は、恣意性や党派性の強い在日研究者のなかでは例外的に「強制連行」という言葉の用法に注意深くあろうとしたのだが、その遺志を継承するという人々は、それを簡単に反故にしてしまうのである。*5



さらに著者は、「反論」として西岡力や杉本幹夫(自由主義史観研究会理事)の文章を引用した上で、「第三章 一世たちの証言」で次のように書く。



ここで私自身の立場を明らかにしておくと、私が共感するのは「強制連行」論よりは、それに対する批判のほうであり、「強制連行」という言葉の使用には懐疑的である。なぜか。
今日「強制連行」と呼ばれる歴史事象は、戦時期の朝鮮人に対する朝鮮から日本本土、樺太、南方地域への「労務動員」を指して使われるのが一般的であるが、それをして「強制連行」と呼ぶのは、日本人の加害者性や朝鮮人の被害者性を誇張しすぎていると思うからである。当時の朝鮮半島は日本帝国の一部であり、エスニック朝鮮人も日本国民の一部を構成していたのだということ、戦時期の日本にはぶらぶら遊んでいるような青壮年は基本的にはいなかったのだということを想起されたい。
戦争が長期化すると徴兵が拡大し、そうすると労働力不足が生じる。それを補うために労働力の統制や動員が強化され、その過程で朝鮮人のなかに、炭鉱や建設現場といった劣悪な労働現場に送り込まれ、重労働を強いられ、多くの精神的苦痛が与えられ、食事、賃金などで民族差別的待遇を受け、また暴力的労務監督のもとで強制労働に従事することを強いられた者が少なくなかったというのは事実であろう。加えていえば、一九三八年二月からは、徴兵制の対象外であった朝鮮人にも志願兵制度がはじまり、四四年からは日本人同様徴兵制が施行され、また軍属として前線に赴いた者も少なくない。
だが、エスニック日本人の男たちは戦場に送られていたのであり、朝鮮人労務動員とはそれを代替するものであった。兵士として戦場に送られることに比べて、炭鉱や建設現場に送り込まれ、重労働を強いられることが、より「不条理」であるとか「不幸」であると、私たちはいうことができるのだろうか。日本人の場合だって、一九三八年に成立した国家総動員法により、十五歳から四十五歳までの男子と十六歳から二十五歳までの女子は徴用の対象となったのであり、それは強制的なものであった。「赤紙召集」(徴兵)であれ、「白紙召集」(徴用)であれ、それは強制力を伴うものであり、応じない場合には、兵役法違反や国家総動員法違反として処罰され、「非国民」としての社会的制裁を受けたのである。
いいかえると、朝鮮人であれ、日本人であれ、当時の日本帝国の臣下はすべて、お国のために奉仕することが期待されていたのであり、多くの者は、それに従属的に参加していた。つまり「不条理」は、エスニック朝鮮人のみならず、この時代の日本国民に課せられた運命共同性のようなものであり、したがって「強制連行」などという言葉で朝鮮人の被害者性を特権化し、また日本国の加害者性を強調する態度はミスリーディングといわなければならない。*6

やや長く引用したが、かいつまんで言えば「確かに差別に起因する不幸はあっただろうが、当時は朝鮮人も日本帝国臣民であったし、普通の日本人だって同じように苦労したのだ」ということであろう。こういった見方は「〜神話」に影響を受けていると思われる「マンガ嫌韓流」にも受け継がれているし、藤岡信勝氏などの自由史観論者も同様の認識であろう。その主張の是非はとりあえず置いておく。ここで問題にしたいのは、金英達氏の主張が西岡力や杉本幹夫らのそれと並んで「強制連行論に対する批判や反論」として紹介され、鄭氏がこれに「共感する」と言っているということだ。


金英達氏の「主張」

では、金英達氏はどのような主張をしているか「金英達著作集II」の別の記述を見てみよう。次に引用するのは最初に引用した部分(〜解放後の在日コリアン社会の構成要素になったわけではないのです)の直後の部分である(太字による強調は引用者)。

このような第二次大戦中の朝鮮人に対する組織的な兵力動員・労務動員を、「朝鮮人戦時動員」と呼ぶことができるでしょう。この朝鮮人戦時動員問題の本質は、日本帝国主義が朝鮮植民地統治という他民族支配のなかで、自らの侵略戦争の遂行に被支配者の朝鮮人を無理矢理に利用したという構造にあります。この民族的に支配されていた構造があったからこそ、日本人の戦争動員とは決定的に次元が異なるのです。
この日本の朝鮮支配のなかでの朝鮮人戦時動員は、次のような特徴的な現象をもたらしました。
(一)「強制連行」……兵役法による徴兵や国民徴用令による徴用は法的強制力が伴いました。志願兵や女子挺身隊への志願・応募も皇民化政策による心理的強制が働き、労務動員の人数集めでは行政的圧力や時には物理的暴力も作用したのです。
(二)「強制労働」……被支配異民族の反抗を抑えるために、軍隊での服務や軍需産業での就労は、徹底した統制と監視がなされました。とくに鉱山や土建の労働現場では、タコ部屋のような奴隷労働もありました。
(三)「民族差別」……朝鮮人の民族性が否定され、日本人への同化が強要されました。日本人の優越的地位が政治的に保障されるなかで、朝鮮人の人格が無視されるような差別的処遇や虐待も起こりました。戦後、日本政府による戦争被害者援護法の適用対象から朝鮮人が除外されたことは、戦争が終わってからもなお民族差別が政策的に続けられていることを如実に示しています。
朝鮮人の戦時動員は、日本人の動員とも違い、一般的な朝鮮人の日本への渡航とも異なるのは、このような特徴的現象があるからです。この現象のうち、動員が朝鮮から朝鮮外への移動であったこと、その移動が国家の政策として法的・行政的強制力が働いたことから、その点を強調して「朝鮮人強制連行」と一般に言われているのです。その言葉には、日本帝国主義侵略戦争や植民地支配を厳しく告発する意味が込められています。*7


太字で強調した部分と、前に引用した鄭大均氏の「立場」をよく見比べて欲しい。鄭大均氏の「立場」と、金英達氏の主張は、全く正反対と言って良い。



また、金英達氏はこの記述の少し後で次のようにも述べている。


ここ数年、日本では「自由主義史観」という看板を標榜するグループによる日本近代史の見直しの動きがあります。この人たちは、明治維新以後の日本の帝国主義的領土拡張の歴史を“栄光の民族発展史”と美化したいので、日本の侵略戦争や植民地支配を正当化するためあれこれと弁解に努めています。いままで「南京事件」や「従軍慰安婦」が焦点になっていましたが、そのうちに「朝鮮人強制連行」の問題も取り上げてくるでしょう。そのときは「強制連行」という言葉が攻撃の的になるのではないでしょうか。
「強制連行」とは何かということは、人それぞれの定義によって異なってくる用語の問題として共通理解が得られにくい面があります。しかし、問題は用語ではなくて、歴史の事実です。そして、事実にもとづいた歴史の解釈と教訓です。私たちは、朝鮮人戦時動員の歴史を明らかにし、その本質を指摘しながら、侵略戦争や植民地支配を擁護する日本版歴史修正主義の動きに対抗すべきでしょう。
*8

と、自由主義史観・歴史修正主義に反対する態度を明確に表明している。にも関わらず、鄭大均氏は金英達氏と自由主義史観論者の杉本幹夫氏らを同列に並べ、「共感する」と述べている*9



これを再び南京事件になぞらえてみるとよくわかると思う。鄭氏による金氏の紹介の仕方は、ちょうど南京大虐殺の神話」という本の中で「南京大虐殺で30万人の市民が虐殺された、とする神話がある」と前振りした後に「それを批判する立場」として田中正明氏や東中野修道氏らと共に笠原十九司氏を同列に並べ、「私が共感するのは『南京大虐殺』論よりは、それに対する批判のほうであり、『南京大虐殺』という言葉の使用には懐疑的である」と書いているようなものなのだ。*10




もし、南京事件においてこのような本を書いたとしたら、評価されるどころか失笑モノであろう。しかるに、なぜ「〜神話」は前述のように高い評価がされているのか。





ひとつには、朝鮮人強制連行の問題が南京事件以上に世間に知られていない、ということがあると思う。最初の方で述べたように、南京事件に関しては笠原十九司氏の著書「南京事件」や「南京事件論争史」がある。どちらも大きな出版社から出ている上、新書だから値段的にも手に取りやすい。例えば南京事件についてトンチンカンな否定論を展開する人に対して「笠原氏の新書をまず読んでみろ」とは言える。しかし同じように「金英達著作集をまず読んでみろ」とは言えない(正確には「言えない」わけではない。しかし、例えば「金英達著作集II」は五千円以上するし、どこの書店にも置いてある本ではない。図書館を利用して読むことは出来るが、南京事件にせよ強制連行にせよ否定論を信じている人でそうした手間をかける人は稀であろう)。




もうひとつは、金英達氏が故人である、ということも関係しているかもしれない(「〜神話」の刊行は2004年、金英達氏が亡くなったのは2000年である)。もし金英達氏が存命であったら、恐らく自分の主張を歪めて紹介した鄭大均氏に対して強く抗議していただろう。あるいは―これは憶測だが―もし金英達氏が存命であったなら、鄭大均氏は金英達氏の主張を肯定的に取り上げたりはしなかったのではないだろうか。



まとめ

以上で述べたことから、「〜神話」における金英達氏の主張の引用の仕方はかなり恣意的で、金英達氏の主張を歪めているのがわかると思う。




最後に金英達氏の強制連行研究史における位置づけについて補足しておきたい。彼は確かに鄭大均氏のいうように「強制連行」という言葉の用法については慎重であったが、といって「強制連行」という語の使用自体を問題視したのではない。したがって「没後に刊行された『金英達著作集』(明石書店)の第二集のタイトル」が「『朝鮮人強制連行の研究』」とされたことは、彼の遺志を反故にしたとは言えない。




さらに言えば、彼の研究は強制連行研究史でも大きな位置を占め、現在の研究にも生かされており、決して例外的でもなければ傍流でもない。それは先日紹介した「朝鮮人労働動員」にも受け継がれているのである。



朝鮮人強制連行の研究 (金英達著作集) (金英達著作集 2)

朝鮮人強制連行の研究 (金英達著作集) (金英達著作集 2)




*1:「〜神話」p61

*2:朝鮮人強制連行について書かれた本は恐らく百冊を下らないと思うが、マイナーな出版社から刊行されているものがほとんどだ(その中でも明石書店などは、比較的メジャーな方だろう)。つまり、朝鮮人強制連行問題において、南京事件における笠原十九司氏の「南京事件」にあたるような書籍は、残念ながら今のところ出版されていない。この問題に関する古典である朴慶植朝鮮人強制連行の記録」(以下「〜記録」)は確か何十刷も版を重ねているはずなので、読者の延べ人数としてはこちらの方が多いかもしれないが、「現在」読まれている、という意味では「〜神話」の方に軍配が上がるのではないか。余談だが、Amazonのカスタマーレビューでは「〜神話」がレビュー数21、平均評価が☆4.5であるのに対し、「〜記録」の方はレビュー数5、平均評価が☆2である(2008.8/25現在)。

*3:東中野氏の「方法論」については南京事件―日中戦争 小さな資料集この記事などを参照のこと。ただし私見では、鄭氏の方が東中野氏よりもやり方が巧妙で、その意味ではよりタチが悪いとも言える。

*4:「〜神話」p36〜37

*5:「〜神話」p41〜43

*6:「〜神話」p61〜63

*7:金英達著作集II」p21〜23

*8:金英達著作集II」p23〜24

*9:もちろん、主張や立場が正反対の者に対して「共感」したり、部分的に同意する、ということはあるだろう。しかしその場合、相手と自分の差異が読者に明示されなければ、「ミスリーディングといわなければならない」。

*10:南京事件における虐殺数について、笠原氏は犠牲者数を十数万〜二○万人としているから、もし「南京大虐殺=30万人虐殺」とするならば、笠原氏も「南京大虐殺否定論者」になってしまう。