戦争に反対した僧侶・竹中彰元


今日、教育テレビで「戦争は罪悪である」という番組を放映していた。日中戦争を批判したために罪に問われた僧侶、竹中彰元を紹介したものだ。

恥ずかしながら、この僧侶については全く知らなかった。

ウィキペディア:竹中彰元


戦時中における仏教界といえば、以前紹介した「『百人斬り競争』と南京事件」の、戦時中の新聞記事を紹介するくだりで次のような記述がある。

【右手に軍刀、左手に数珠「是皆一切空也!」と爆笑 部下兵士に戒名を与えて奮戦した住職部隊長】(一九三七年一一月一四日)

○○群××町△△寺住職□□□□中尉「第一線において最初のころはみな戦死者にお経を上げてやったが、多くなると、そんな暇もなくなった。右手に軍刀、左手に数珠を持っていて戦争するのだから……これ皆一切空サ」

【“和尚でも人は斬れる、菩叉一体の心境サ”白衣の勇士四十名と共に□□□□中尉凱旋】(一九三七年一二月二○日)

江南の戦線で勇名をはせた○○群××町出身の□□□□中尉以下両角部隊の「白衣の勇士」〔傷病兵〕四十名が凱旋した。□□中尉は(駅頭の挨拶で)「自分らの部隊は戦友の屍を越えて敵の首都南京を攻略させました。これが今の自分等の最大の慰めです。自分らとともに出征したものの中にはもうこうして皆さんに語ることのできないものが沢山できました。それを思うと、一日も早く元の体になって再び戦線に立ちたいと思います」と感慨胸をえぐる挨拶を述べた。〔記者のインタビューに答え〕「戦場の感想かえ?“菩叉一体”これだね。菩薩も夜叉も一緒になった気持ちだよ。和尚でも人は斬れるさ、弥陀の利剣は大乗の精神だからなァ」


戦時中、戦争に参加し、部隊と行動をともにする仏教の僧侶が志願の従軍僧として、仏教教団、宗派から軍属の身分で派遣され、戦死者への読経、回向や慰霊の儀式などの仏事のほか、負傷者への慰問激励などをおこなった。日本の仏教教団が国家神道をかかげる天皇制国家の侵略戦争に加担・協力した事例である。そうした従軍僧とは別に、右の記事にあるように僧職者にも兵役は適用され、仏教の教えで殺傷を禁じられているはずの僧侶が銃と軍刀を持って戦場へ赴き、しかも「和尚でも人は斬れる」と日本刀による殺戮もおこなった。「僧兵士」である。多少誇張があるとはいえ、新聞報道も聖職者の殺人をとがめるどころか、それを英雄的行為として賞賛したのであるから、戦争当時の異常な時代状況が理解できよう。さらには住職が中尉となって、侵略戦争への戦意高揚をはかるまでになっていたのである。(p63〜64。なお、僧侶と寺の名前、地名は伏せ字にした)


「百人斬り競争」と南京事件―史実の解明から歴史対話へ

「百人斬り競争」と南京事件―史実の解明から歴史対話へ


番組では「僧兵士」の紹介こそなかったが、南京陥落後に僧侶が派遣されたことには触れていた。

竹中彰元は真宗大谷派からも処分を受け、長らく忘れられていただけでなく、名誉回復もなされていなかったという。番組では、仏教界における戦争責任を問う声が80年代から次第に高まってきたことも紹介している。


実をいうとこの番組、後半30分ほどしか観ていない。しかし後半部分だけでも非常に見応えがあったので、ぜひ再放送をして欲しいものだ。<追記>竹中彰元についての本が出版されているのを知った。出版が今年10月なので、番組はそれに合わせて放送したのかもしれない。

戦争は罪悪である―反戦僧侶・竹中彰元の叛骨

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