雁屋氏の嘆きは分かるけれど、だがしかし。


雁屋哲の美味しんぼ日記 「嫌韓・嫌中について その4」で、雁屋氏は次のように書いている。


日本が朝鮮・韓国、そして中国にどんなことをしてきたか、そんなことを今更ながら復習するのは馬鹿らしい話だが、この投書を送ってきたような人が日本には少なからずいるようなので、馬鹿らしいと、高みの見物にとどまらず、馬鹿馬鹿しいことは一つ一つしらみつぶしにいていかないとならないと思う。
ああ、こんなに、辛いことはないのだが、乗りかかった船だ。
愚者を愚者とを罵るだけではだめで、悪質な愚者に誘われかねない、無垢な人のために、きちんとしたことを書いていかなければならないと思う。


こう嘆きたくなる気持ちは分からないでもない。強制連行にしても南京事件にしても、ネットで生半可な知識を得ただけの人がトンデモな書き込みをしているのを見ると無茶苦茶腹が立つし、そういう人は基礎的なことも知らないことが殆んど*1だから、反論する前にまずそこからいちいち説明しなければならないので、非っ常〜に面倒臭い。


で、そういうことに時間や労力を割いていると「何でこんな金にもならんことをやらなくてはならんのだあ!」とか「他の人に代わってもらえないかなあ」と思ったりもする。


そういう時、自分は朴慶植氏のことを思い出すことにしている。


以前触れたこともあるし、また生前の朴慶植氏と交流があった外村大氏も述べているが、朴氏は当時所属していた朝鮮総連でも冷遇され、また資料収集も非常に困難な状況*2の中、「朝鮮人強制連行の記録」を刊行した。それとてすぐに評価されたわけでもなく、生活するのもやっとの状況で、この分野の研究を切り開いてきた。


それに比べれば現代の、図書館やネットで知識や情報を得られる状況での「苦労」や「辛さ」など、大したことではない。屁みたいなものだ。


確かに「日本が朝鮮・韓国、そして中国どんなことをしてきたか、そんなことを今更ながら復習するのは馬鹿らしい話」ではある。しかし、こうした事態を招いたのは「われわれ」*3の責任だし、現在の状況を静観することは、朴慶植氏をはじめとする先人の苦労を無にする(やや過激な言い方をすれば「朴慶植をもう一度殺す」)ことになると思う。


面倒臭がりの自分がこの件にこだわる理由のひとつには、そういう思いもある。


在日朝鮮人・強制連行・民族問題―古稀を記念して

在日朝鮮人・強制連行・民族問題―古稀を記念して

*1:「20万人しかいないのに30万人も〜」とか「募集や官斡旋は強制ではない」とか。最近だと「契約期間があったのなら強制連行ではない」とか。

*2:ミクシィを通じて、朴氏と交流のあった方に伺ったのだが、特に企業や行政の資料収集は「秘密主義」の壁に阻まれ、困難を極めたという。

*3:基本的に「一人称複数形」はむやみに使わないようにしているのだけれど、ここではあえてこう書く。