秦郁彦氏に田母神「論文」を批判する資格はあるのか?(追記あり)


こちらで少し触れた、2004年のセンター入試で「朝鮮人強制連行」に関する問題が出題された件だが、秦郁彦氏が著書「歪められる日本現代史」*1でこのことに触れている。


歪められる日本現代史

歪められる日本現代史


秦氏は、この試験で「不適切な設問があったため、不利益を蒙ったとして」受験生の一人が地裁に仮処分を申請(こちらは却下されたらしい)し、また七月に早大新入生ら七人がセンターを提訴したことを紹介し*2、「しかし強制連行の定義について論争があることを知っている受験生なら、『歴史的事実に反し思想良心の自由を踏みにじられた』(仮処分の訴状)とか、『一種の踏み絵』と不快に感じてもふしぎはない」(p67)と書く。


しかしこれは贔屓の引き倒しというものだろう。前に紹介したように、今年のセンター入試では河本大作らによる張作霖爆殺事件や南京事件についての問題が出題されたが、もしこれについて裁判を起こす受験生がいたら、秦氏はやはり「論争があることを知っている受験生なら…不快に感じてもふしぎはない」と評するのだろうか*3


また秦氏は、


今では国民徴用令による「徴用」のうち、朝鮮人だけを「強制連行」と呼び変える事例は前記の実教本*4をふくめかなりふえているものの、元来は在日の朝鮮大学校教員で『朝鮮人強制連行の記録』(未来社、一九六五)を刊行した朴慶植が創出した新造語だったことを突きとめたのは*5鄭大均(東京都立大学教授)である。


韓国の国定教科書も「強制連行」は使っていないが、自由募集*6、官斡旋、徴用(一九四四年から)の三段階があり、法的強制の期間は数ヵ月にすぎず定義が困難という事情もあるらしい。センター試験この種の定義も確立していない俗語を持ちこむのは、本来ありえないはずで、やはり近隣諸国条項のもたらした副産物と見てよい。
(p67〜68、太字による強調は引用者。以下同じ)


と書く。


韓国の教科書事情は知らないが、日本の研究者の間で「朝鮮人強制連行」の定義は「募集・官斡旋・徴用による、朝鮮人労働者の朝鮮から日本への動員」という点ではおおむね一致している。これに兵力動員(徴兵・志願兵など)や従軍慰安婦を入れるかどうかによって範囲や人数は変わるが、公約数的な部分が一致しているのだから、教科書に載せたり入試問題に出すことについて問題はないだろう。


この程度の「定義のぶれ」が問題になるなら、秦氏自身もコミットし、その存在自体は否定していない南京事件にしても「定義について論争がある」*7ということになるが、おそらく秦氏南京事件を(人数の問題はともかく)教科書に載せたり入試問題に出したりすることに反対はしないはずだ。


そもそも「朝鮮人強制連行」は、様々な歴史辞典にも記載されている「歴史用語」であり、「俗語」ではない。その用語が適切であるか否かについて議論の余地はあるだろうし、このブログでも「朝鮮人戦時動員」という呼称を主に使っている*8が、それは「朝鮮人強制連行」という語が「俗語」だからでも「在日の元朝鮮大学校教員が創出した新造語」だからでもない*9


もうひとつ問題にしたいのは次の記述だ。


それ以上に問題なのは、受験生が提起し国会でもとりあげられた本件に大学入試センター(文科省の外郭機関)ばかりか文科省、問題作成者をふくむ歴史家たちが逃げまくるか、沈黙をきめこんでいることだろう。


とくに作成者の氏名を公表せよという要求にセンター側は渋り、怒った自民党議員グループに追及され「作成者が辞める時点で公表する」と約束したが、実行は期待できない。ほとぼりが冷めるまで作成者を引きとめかねないからである。


まともな作成者なら堂々と名のり出て弁明しそうなものだが、そうならないのは本人が不適切を承知で出題した「確信犯」で、「しまった。ばれたか」と舌打ちしつつも、支援勢力が守ってくれると安心してるからではあるまいか。
(p68)


大学入試センター文科省、問題作成者については知らないが、「歴史家たちが逃げまくるか、沈黙をきめこんでいる」というのは嘘だ。このブログでも時々言及している外村大氏は「季刊・戦争責任研究」第45号(2004年秋季号・2004年9月)の「朝鮮人強制連行―その概念と史料から見た実態をめぐって」という論文で、このセンター入試問題に対する批判に反論している(この論文に加筆したものが、現在ウェブ上で公開されている)。またこちらでも言及したが、2005年8月に出版された「朝鮮人戦時労働動員」(山田昭次、古庄正、樋口雄一/岩波書店)でも、冒頭でこの問題について取り上げている。


朝鮮人戦時労働動員

朝鮮人戦時労働動員


秦氏の上記の文章の初出は「学士会会報」No.851/2005年3月となっている。この時点では少なくとも外村氏の論文を目にすることは出来たはずだ(ちなみに秦氏も「季刊・戦争責任研究」に寄稿したことがある)。また「歪められる日本現代史」の出版は2006年2月だが、「あとがき」には「二○○五年十二月 東京・目黒にて 秦郁彦」とあるから、「朝鮮人戦時労働動員」が出版された後だ。


秦氏が外村氏の論文や「朝鮮人戦時労働動員」を読んでいたかどうかは分からない。もし読んでおきながら上記のような文を書き、それを著書に収録したのであれば、故意に嘘をついたことになるし、もし読んでいなかったとすれば、きちんと調べもせずに「歴史家たちが逃げまくるか、沈黙をきめこんでいる」などと書くのは、プロの歴史家・文筆家としてあまりに軽率だろう。


そもそも上記の文章を読む限り、秦氏が強制連行研究の本をまともに読んでいるかも疑わしい。鄭大均氏について触れているところを見ると、どうやら「在日・強制連行の神話」は読んでいるようだが、あれを元に強制連行を論じているのであれば、「マオ」を鵜呑みにして「張作霖爆殺=コミンテルン陰謀説」を唱える田母神氏と五十歩百歩と言わざるをえない。


鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(1)
鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(2)
鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(3)
鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(4)
鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(5)
鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(6)
鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(7)





最後に、問題作成者が名乗り出ない問題について。果たして問題作成者が何らかの政治的意図をもって「強制連行」の問題を入れた「確信犯」なのか、あるいは無自覚的に「強制連行」の問題を選択したのかは分からない。だがいずれにしても、もし作成者の名前が公表された場合、一部の人間が恫喝に近い抗議をしたり悪質な嫌がらせをすることは充分考えられる事態であって、名乗り出ないことにも納得がいく。秦氏の「そうならないのは本人が不適切を承知で出題した『確信犯』で、『しまった。ばれたか』と舌打ちしつつも、支援勢力が守ってくれると安心してるからではあるまいか」という推測は「下衆の勘繰り」だろう。<2009.1.29追記>


この記事で取り上げたのとは別の箇所だが、Stiffmuscleさんも「歪められる日本現代史」の批判記事を書いておられるのでリンクしておく。


Stiffmuscleの日記―見損なったよ!秦郁彦

*1:なお、この本では他に「沖縄ノート」裁判や「国が燃える」事件、慰安婦問題などについても触れている。その辺りも色々批判のし甲斐がありそうだ。

*2:果たしてこの受験生や早大新入生が、自らの判断・意思「のみ」で自主的に裁判所に訴えたのか疑問に思わないでもないが、そういうことを言い出すと右派の「サヨク陰謀論者」と同レベルに陥りかねないので、ここでは判断を留保しておく。

*3:もっと言えば、インテリジェンス・デザイン論や創造論を信じる学生や受験生が、進化論を扱う教科書や入試問題を「思想良心の自由を踏みにじられた」と訴えたら、秦氏は支持するのだろうか。

*4:実教出版の高校教科書「日本史B」のこと。秦氏はこの教科書の、第二次大戦のアジア諸国における犠牲者数の記述に疑問を呈している。

*5:細かいことだが、「強制連行」という言葉自体はもともと中国人の動員に対して使われていた用語で、朴慶植氏の「新造語」ではない。ただ、朝鮮人の動員に対して「朝鮮人強制連行」という表現をしたのは、おそらく朴慶植氏が最初と思われる。

*6:これまた細かいことだが、戦時中「自由募集」という用語は使われていない。「朝鮮人強制連行」が「新造語」だというなら「自由募集」も「新造語」ということになる。

*7:http://d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20070925/1190716477を参照のこと。

*8:詳しくは「強制連行」か「戦時動員か」?を参照のこと。

*9:なお、こちらの記事にも書いたが、朴慶植氏が「朝鮮人強制連行」という表現を用いる前、鎌田沢一郎は「労務動員の強制」「誤つた強制徴用」、森田芳夫は「強制移住」と表現していた。秦氏は、こうした「在日」でも「元朝鮮大学校教員」でもない人間による表現ならば納得するのだろうか?