鄭大均「在日・強制連行の神話」を検証する(5)

このシリーズの一回目で、「〜神話」の第一章「在日は強制連行の被害者である」と第二章「反論」の概要について簡単に触れた。



在日・強制連行の神話 (文春新書)

在日・強制連行の神話 (文春新書)



しかし、このような構成は非常に問題がある。なぜなら、このような分類の仕方は読者を「強制連行」論=「在日は強制連行の被害者であるとする論」という誤った見方に誘導してしまうからだ*1。その上、本来「強制連行」論側(すなわち鄭大均氏や彼が共感する論者とは正反対の立場)であるはずの金英達氏を、あたかも強制連行否定論者のごとく紹介するという過ちをおかしているのは、前に述べた通りである。



そもそも強制連行(戦時動員)研究・在日朝鮮人史研究において、戦時動員が始まる以前から日本に居住していた朝鮮人が多数存在していたこと、また戦時動員によって渡日した朝鮮人の多く*2が戦後まもなく帰国したことは常識である。これは鄭大均氏が「いかがわしい」と評する「〜記録」にも、


一九四五年八月一五日、日本帝国主義の敗亡による朝鮮の解放は日本に連行された朝鮮人労働者に解放への歓喜をもたらし、朝鮮人労働者は懐しい故国に向って先を争って帰国した。(中略)朝鮮人は自力で大小の漁船を借り入れるなどの可能な一切の方法を利用して山口県、福岡県の各港に集結し、生命の危険をもおかしながら帰国した。事実、何年目かに故国を眼前に見ながら釜山沖で機雷による乗船の沈没という悲劇もあった。こうして八月一五日から一一月三○日までに自発的、集団的帰国者五二万五、○○○名を数えた。*3

と書かれていることからも明らかだ。これについては鄭大均氏が「反論」として紹介している野村進氏の「研究者のあいだではすでに定説となっている*4」という言葉の通りなのだ(よって野村氏を「強制連行」論の反対論者であるかのごとく紹介するのもおかしい。これについては、今後の記事で改めて詳しく取り上げる予定)。そのことを明らかにせず、あたかも「強制連行論」=「在日は強制連行の被害者であるとする論」であるかのように書くのは、印象操作・ミスリーディングと言われても仕方がないだろう。


「神話」が生まれた背景

さてしかし、「在日コリアンが強制連行による被害者とその子孫である」という「誤解」があるのは事実だ。これについては前回紹介した外村大氏の論文でも言及されているし、また鄭大均氏が「〜神話」の冒頭で挙げている学校教科書の記述の問題については、水野直樹氏が2003年に行った「社会科教科書における在日韓国・朝鮮人関係記述 −中学校教科書を例にして−」という講演でも問題提起されている(念のために言うと、水野氏は「新しい教科書をつくる会」や「自由主義史観」、すなわち鄭大均氏が「共感」するという「強制連行否定論」には反対する立場である)。



この「誤解(神話)」がなぜ広まったのか。それにはいくつかの理由が複合的に組み合わさっているだろうと思われるが、鄭大均氏は80年代に左派系の人々が「強制連行」という言葉を広めたと簡単に述べるだけで、充分な分析をしていない。これは検証する価値のあるテーマだと思うが、とりあえず二つの私見・推論を述べてみたい。



ひとつは、在日側からの「強制連行」の語られ方である。鄭大均氏は「日本の隣国に対する加害者性を語るときの手軽なキーワード」と若干皮肉の込もった表現をしている*5が、確かに「強制連行」という言葉は戦前の植民地支配および戦時中の日本の非道行為の「象徴」としてしばしば使われてきた。以前述べたように「強制連行」が行われたのは戦時中であるが、それは突然行われたわけではではなく植民地支配という背景、歴史的必然性・連続性の下で起きたことである。そしてその意味において、植民地支配下朝鮮人が受けた「痛み」と「強制連行」による「痛み」は区別されるものではない。



また、在日の側が告発の意を込めて「強制連行」と言う時、それは多くの場合、単なる個人の記憶・痛みとしてではなく、「われわれ」の記憶・痛みとして発せられてきた。それは例えば、東京大空襲について直接の被害者ではない日本人が発言するのと比べてもより切実な響きを含んだものであっただろう。そのような場合、「私個人は強制連行をルーツとしているわけではないが」と付け加えることは、あまり意味を持たない。さらに言えば「強制連行」は戦前の植民地支配だけでなく、戦後も続いた(かつ、今なお完全に消えたとは言えない)在日コリアンに対する差別とも地続きの関係にある。その意味でも「強制連行」は、直接関わりのない在日にとっても他人事ではなく、「自己の問題」として語られたのではないだろうか。



もうひとつ、より重要と思われるのは、日本人の「強制連行」の受け止め方である。80年代以降、確かに「強制連行」という言葉は広まったが、その言葉に触れた日本人はそれをどのように受け止めたか、あるいはどれだけその実態を理解(しようと)したか。恐らく多くは「ああ、日本人は昔朝鮮の人に酷いことをしたのだな」という程度の認識だったのではないか。あるいはもう少し「良心的」な人々は在日に対して罪悪感や贖罪意識を抱いたかもしれない。しかしその中で「強制連行」と真摯に向かい合い、その実態をより深く知ろうとした日本人は決して多くなかったのではないだろうか。鄭大均氏は「〜記録」について「名前ほどには内容が知られてはいない*6」と述べているが、おそらくその通りだろう。もし「〜記録」がその知名度と同じ程度に広く読まれていたなら(あるいは「強制連行」に対して日本人の関心がより深く寄せられていれば)、強制連行の「神話(誤解)」は生まれなかったのではないだろうか。


まとめ

「現在の在日が強制連行の被害者であるとする論」も、「強制連行」論が「現在の在日が強制連行の被害者であるとする論」だというのも、どちらも誤解である。このような「誤解(神話)」が生まれた原因については上記で述べたことの他にもあるだろうし、まだまだ検討の余地があるだろう。しかしその大きな要因として、日本人の無関心・無理解があったのは確かであると思われる。その上「〜神話」のような、専門家の研究をないがしろにするような本が評価されている現状では、理解が進むどころか二重にも三重にも誤解が重なることになってしまう。



朝鮮人戦時動員については自分もまだまだ勉強不足・理解不足で、これまで書いた論も非常に拙いものではあるが、せめてこれを目にした方がこの問題に目を向け、理解を深めるきっかけになれば、と切に願う。

*1:こうしたやり方は、南京大虐殺否定論者が「南京大虐殺論=30万人虐殺」とした上でそれを否定してみせるやり方に近い。南京事件について詳しい人には言うまでもないことだが、日本のいわゆる「虐殺肯定派」で「30万人虐殺説」を採る論者はほぼ皆無だ。ただし「30万人説」が「決定的な証拠には欠けるがそれを完全に否定できる根拠もまた薄い」のに対し、戦時動員者の多くが帰国したことは事実と認識されているという点で違いがある。

*2:全てではないことに注意。様々な理由で帰国しなかった、あるいはできなかった朝鮮人も少なくはなかった。

*3:「〜記録」p98

*4:「〜神話」p39

*5:「〜神話」p120

*6:「〜神話」p120