労働現場におけるリンチの一例


前回紹介した話は、「ちょっと良い話」ではあるが、朝鮮人戦時動員にまつわる話では、やはり悲惨な話、いたましい話が圧倒的に多い。


朝鮮人戦時動員について少しでも調べれば、当時朝鮮人に対する苛烈なリンチの例は、それこそ掃いて捨てるほど出てくる。以下は「消された朝鮮人強制連行の記録」に登場する古河鉱業所の大峰炭鉱の日本人労務係の証言。彼は昭和十九年三月十九日の朝、李山という労働者が仲間の金を盗んで逃亡しようとしたのに気付き、「叩かないことにはしめしがつかん」ため、三十分ほど李山を叩く。以下はその後の記述(太字による強調は引用者。また本文では労務係の実名が書かれているが、ここでは伏せ字にした)。


「○○さん、死んだぞ!」


その声を聞いても李山とは考えないで、寮生の誰かが事故死したと思った。


「おい、誰が死んだとか?」


「決まっとろうが、お前から叩かれた半島たい」


「馬鹿いうな、李山が死ぬわけがなか」


わしは李山が死んだとは考えられなかった。


あれくらいの叩き方は何時もしていたし、六時間後に死んだとは信じられんやった。労務係助手の高山に様子を聞くと、後番の労務が交代でしごいたらしい。あんまり激しく殴りつけたので、失禁状態のたれ流しで、ズボンが糞だらけになってしまった。


坂本隊長が、汚いから風呂に連れて行って洗えと命令し、労務係が二、三人で李山を抱えて、服のまま投げ込んだ。無理に入れたんで、心臓麻痺を起こして死んだ。今さら何といって弁解したところで、死んでしまったから仕方がありませんたい。


古河病院に運ばれて来た李山の遺体はまだ温かく、医者が人工呼吸をほどこしたが蘇らなかったらしい。


医者は心臓麻痺と診断したが、風呂に投げ込む前にすでに死んどったのかも分からんですたい。


リンチが死因であることは判然としとった。


あの当時、考えて見ると特高というバックがあったから、労務係は平気で寮で叩き殺したり出来た特高といえば労務係もびりびりしとるし、朝鮮人特高を呼ぶぞといっただけで恐れとった。


労務係とか坑内係が寮生を叩くことは、当たり前のような雰囲気があって、それがみんな国のためと思うとった。戦争に勝つか負けるかの時に、一人や二人叩き殺しても石炭さえ増産すればいいと、黙認したところがあったからね。


炭鉱の幹部は、すぐ緊急会議を開いた。出来れば表沙汰にしないで、内部の問題として、心臓麻痺による死にしたかったらしい。落盤事故で入院中の二人の朝鮮人が、病院内のあわただしい動きから李山の死を知って、炭鉱全体に広がってしまった。


(中略)


李山が死んだことは陽信寮から愛汗寮にも知らされた。坑内の者はみんな採炭を止めて無断昇坑すると、持って上がった坑内ヨキやノコで陽信寮を襲った。労務詰所に押しかけ、そこにいた五、六人を殴り倒した。

(中略)


李山が殺されたことで、添田の峰地炭鉱やこの地方の炭鉱に次々と暴動が起こりそうで大変やったらしい。労務係を全員逮捕して、殺人犯で送検しないと収拾がつかんごとなっとる。そうせんと、朝鮮人が納得せん情況があった。他の炭鉱では、何人も朝鮮人を虐殺しても問題にならんで、大峰炭鉱のわしたちは運が悪かった。


わしと木元、後藤の三人の労務係と、朝鮮人の金山と高山の二人の労務係助手、合計五人が殺人罪で起訴された。労務係が朝鮮人を殺して裁判になったのは、筑豊の炭鉱でははじめてのことで、ずい分同情されましてな。古河鉱業所では二人の弁護士をつけ、「後のことは面倒を見るから、家族のことは心配するな」と慰めてくれたが、殺人犯というのはいい気持じゃなか。


弁護士は、戦時中の特殊事情があるので、刑期については情状酌量して欲しいと法廷で訴えた。四十五日間のスピード裁判で、五人ともそれぞれ二年の判決を受けた。


(中略)


最初のうちは福岡刑務所に入れられとった。


炭鉱で朝鮮人を殺したということで、思想犯や凶悪犯じゃないから、刑務所の看守たちからは優遇された。


「お前たちはかわいそうだ」と同情されて、飯の量も他の囚人よりも多かった。
(p132〜134)


少なくとも筑豊の炭鉱においては、朝鮮人労働者に対するリンチが珍しいことではなかったこと、その結果死に至らしめたとしても黙認され、揉み消されたということ、この件も朝鮮人たちに知られなければ闇に葬られたであろうということが分かる。


ところで、これは昭和十九(1944)年三月、つまり朝鮮人に対する本格的な徴用が始まる前の話である。強制連行否定論者の中には、徴用以前の官斡旋や募集によって連行された朝鮮人に「退職の自由があった」という者がいるが、それは単に法律による罰則がなかっただけで、実際は自由に辞めることなど出来なかった。辞めようとすれば逃亡しかないが、その場合強制貯金に回されていた賃金は支払われない。それにも関わらず逃亡者は続出したし、また逃亡しても捕まってしまったら(あるいは逃亡しようとしたことがバレてしまったら)容赦ないリンチが加えられた。ほとんどの否定論者はこうした点を軽視・無視している。